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前橋地方裁判所 昭和47年(ワ)76号 判決

目次

当事者の表示

主文

事実

第一章 当事者双方の申立て

第一 原告らが求める裁判

第二 被告が求める裁判

第二章 原告らの主張

第一節請求の原因

第一 当事者

一 原告ら

二 被告ら

第二 侵害行為と因果関係

一 侵害行為

1 安中製錬所の操業

(一) 電気亜鉛

(二) 亜鉛華

(三) カドミウム

(四) 硫酸

2 安中製錬所からの重金属及び硫黄酸化物等の排出

(一) 安中製錬所の生産工程

(二) 排煙

(三) 排水

(四) 排煙排水の農地への到達

二 周辺農地の被害

三 因果関係

1 重金属による農作物の減収、有毒化

2 硫黄酸化物による農作物の減収

3 重金属及び硫黄酸化物による養蚕被害

第三 損害

一 原告らの被つた被害の特質

1 農作物の被害

2 養蚕の被害

3 農業経費の増大と労働強化

4 農業規模の縮小等

5 土壌汚染

6 生活の絶対的貧困化

(一) 食生活

(二) 住居

(三) 衣類等

(四) 子供の教育

7 家族生活の破壊

8 地域社会の崩壊

9 健康被害

10 自然環境の破壊

二 農作物及び養蚕の減収被害の地域別実態

1 畑A地域

(一) 位置

(二) 汚染経路

(三) 被害の特徴

2 畑B地域

(一) 位置

(二) 汚染経路

(三) 被害の特徴

3 畑C地域

(一) 位置

(二) 汚染経路

(三) 被害

4 水田A地域

(一) 位置

(二) 汚染経路

(三) 被害の特徴

5 水田B地域その一

(一) 位置

(二) 汚染経路

(三) 被害の特徴

6 水田B地域その二

(一) 位置

(二) 汚染経路

(三) 被害の特徴

7 水田C地域

(一) 位置

(二) 汚染経路

(三) 被害の特徴

第四 違法性(犯罪性)

第五 責任論

一 立地時点における故意責任

二 操業直後における故意責任

三 大増設時点における故意責任

第六 損害論(損害の金銭評価)

一 損害の金銭評価の方法

1 安中公害の特徴

2 損害論の構成

(一) 包括請求

(二) 定形化アプローチ

(三) 損害の完全回復

(四) 損害算定の基準時

(五) 裁判的賠償

二 金銭評価の斟酌要素

三 損害額の算定

1 昭和二七年から昭和四六年までの二〇年間の減収被害

2 昭和二六年以前及び昭和四七年以降現在までの減収被害

3 比例的斟酌要素

4 一律的斟酌要素

5 まとめ

四 弁護士費用

第七 個別原告の主張

一 耕作地と被害

二 損害賠償請求権の承継

1 本訴提起前の相続

2 本訴提起後の相続

3 債権譲渡

第八 結び

第二節反論に対する答弁

第一 反論第一(米のカドミウム被害とその補償)について

第二 反論第二(米のカドミウム被害の解消)について

第三 反論第三(土地改良事業についての費用負担)について

第三節抗弁に対する答弁

第一 抗弁第一(和解契約)について

第二 抗弁第二(消滅時効)について

第四節再抗弁

第一 和解契約の公序良俗違反による無効

第二 時効の利益の放棄

第三 時効の援用の権利濫用又は信義則違反による無効

第三章 被告の主張

第一節請求原因に対する答弁

第一 請求原因第一(当事者)について

第二 請求原因第二(侵害行為と因果関係)について

第三 請求原因第三(損害)について

第四 請求原因第四(違法性)について

第五 請求原因第五(責任論)について

第六 請求原因第六(損害論)について

第七 請求原因第七(個別原告の主張)について

第二節被告の反論

第一 米のカドミウム被害とその補償

一 米のカドミウム安全基準設定とこれに伴う群馬県の措置

二 該当農家に生じた損害

三 原告らへの支払い

第二 米のカドミウム被害の解消

一 農用地の土壌の汚染防止等に関する法律(以下「土染法」という。)に基づく土地改良事業の実施

二 原告らの耕作農地に対する改良事業

第三 土地改良事業についての費用負担

一 公害防止事業費事業者負担法による被告の負担

二 その他の被告の負担した諸費用

1 土取場協力金

2 土捨場に伴う転用助成金

3 工事期間中の麦作補償

4 工事期間中牧草補償

第三節抗弁

第一 和解契約

一 鉱害対策委員会

二 契約の成立

三 契約の趣旨

四 代理権

第二 消滅時効

第四節再抗弁に対する答弁

第一 再抗弁第一(和解契約の公序良俗違反による無効)について

第二 再抗弁第二(時効の利益の放棄)について

第三 再抗弁第三(時効援用の権利濫用又は信義則違反)について

第四章 証拠関係

〈以上、事実省略〉

理由

第一 安中公害

一 安中公害

二 安中製錬所の歴史

1

2

(一) 電気亜鉛

(二) 亜鉛華

(三) カドミウム

(四) 硫酸

三 安中製錬所と周辺の状況

1 地勢、風

(一) 地形、水系

(二) 風向、風速

2 土地利用

(一) 安中製錬所周辺の農地

(二) 工場敷地の拡張

四 被害の概略

1 収穫

2 農作物の減収・有毒化

3 養蚕被害

五 住民運動及び汚染農地用地指定と土壌改良事業

1 戦前の公害反対運動、補償要求運動

2 戦後の公害反対運動、補償要求運動

(一) 大増設反対運動

(二) 被害補償交渉

(三) 銅電解工場等増設反対運動

(四) 超高圧電線架設反対運動

(五) 昭和四二、三年の違法増設とその後の反対運動等

(六) 公害防止等協定締結交渉

(七) 安中市外の住民運動

3 汚染農地指定と土壌改良事業

第二 被害発生の過程及び範囲

一 安中製錬所の生産工程と排出物

二 安中製錬所周辺の土壌汚染

1 土壌の重金属濃度

2 土壌中の重金属の自然界値

3 土壌汚染とその原因

4 排煙排水中の重金属の量

三 安中製錬所周辺の大気汚染

四 まとめ

五 重金属による植物被害の機序

1 土壌中の重金属の溶出

2 重金属の吸収による障害

3 減収被害発現濃度

六 硫黄酸化物及び硫酸による植物被害の機序

1 大気汚染による植物被害の一般的特徴

2 大気中の亜硫酸ガス

3 硫黄酸化物及び硫酸の吸収による障害

4 亜硫酸ガスによる植物被害の発現

七 養蚕被害の因果関係

1 桑葉の重金属汚染と蚕

2 硫黄酸化物及び硫酸による桑葉の有毒化と蚕

八 被害地域の範囲

第三 責任

第四 損害

一 被侵害利益

二 損害の評価

三 損害額の算定

第五 原告ら個別の損害

一 耕作地及び被害

二 損害

三 損害賠償請求権の承継

1 相続

2 債権譲渡

四 損害賠償請求権の数額

第六 被告の抗弁に関する判断

一 和解契約の抗弁

二 時効の抗弁

三 その他

第七 結論

別紙・目録〈省略〉

原告

大塚紋蔵

外一〇七名

原告ら訴訟代理人

高田新太郎

飯野春正

外一七名

被告

東邦亜鉛株式会社

右代表者

沖田守

右訴訟代理人

小木貞一

加嶋昭男

外四名

主文

一  被告は、主文別表記載の各原告に対し、それぞれ同表の当該原告分の金額欄に記載する金員及びこれに対する昭和四七年三月三一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  同表記載の各原告のその余の請求及びその余の原告らの各請求を棄却する。

三  訴訟費用のうち主文別表に記載がない原告らと被告との間において生じた分は右原告らの負担とし、その余の訴訟費用は、これを二分し、その一を同表記載の原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  第一項に限り仮に執行することができる。

主文別表

原告番号

原告

金額

1

大塚紋蔵

金八〇万七〇〇〇

4

湯井一松

金一一四万四〇〇〇

6

前川仲三

金四四万四〇〇〇

8

神成春雄

金一三万四〇〇〇

11

白石益雄

金一九二万二〇〇〇

12

白石正一

金一〇九万一〇〇〇

13

小野文雄

金三〇万八〇〇〇

14

小川徳良

金一二一万三〇〇〇

16

小川イト

金三三万六〇〇〇

17

岡田治郎

金九五万八〇〇〇

19

岡田初男

金一五七万七〇〇〇

20

小川えん

金四〇万九〇〇〇

21

茂木八郎

金九八万二〇〇〇

22

大塚葛造

金四二八万八〇〇〇

23

宮沢貞安

金二八四万九〇〇〇

24

大塚仁

金八一万七〇〇〇

25

峯岸一郎

金一八一万三〇〇〇

26

大塚徳次

金一三七万七〇〇〇

27

白石宗三

金六〇万四〇〇〇

28

神沢常吉

金六八万九〇〇〇

29

白石清一

金一五〇万五〇〇〇

30

岡田ぎん

金一一六万一〇〇〇

31

茂木昇

金二〇八万二〇〇〇

32

河井しん

金一〇二万七三三三

33

河井清

金六万七〇〇〇

34

大塚忠

金五六万七〇〇〇

35

大塚繁

金二三八万四〇〇〇

36

峯岸伝之助

金一七〇万二〇〇〇

37

宮沢晴作

金九三万四〇〇〇

39

宮沢喜作

金三六二万〇〇〇〇

40

木村兼吉

金三三万八〇〇〇

41

古達豊彦

金八三万六〇〇〇

42

川保正

金一二九万一〇〇〇

43

湯井はつ

金五万一三三三

43

井田ヤエ

金二万〇五三三

43

湯井洋一

金二万〇五三三

43

湯井康弘

金二万〇五三三

43

湯井鉄夫

金二万〇五三三

43

湯井久美子

金二万〇五三三

44

茂木喜三郎

金二七四万一〇〇〇

45

小川義市

金四六九万三〇〇〇

46

小川正三

金三七万一〇〇〇

47

小川あさ

金二三二万八〇〇〇

48

小川益三

金七二万九〇〇〇

49

小川勝巳

金一二八万〇〇〇〇

51

前川正夫

金五四万一〇〇〇

52

赤見皆吉

金三四万八〇〇〇

53

赤見永吉

金二六万〇〇〇〇

54

加部曻平

金一五五万四〇〇〇

57

依田よし

金四五万五〇〇〇

61

藤巻千枝

金四四万一〇〇〇

62

大河原定太郎

金四三万二〇〇〇

63

依田吉郎

金五五万一〇〇〇

64

清水タキ

金二三一万二三三三

65

内川寔

金九二万三〇〇〇

66

中島富美

金一四万〇〇〇〇

69

中島才一

金二六万一〇〇〇

70

中嶋喜一郎

金八六万八〇〇〇

75

藤井隆二

金八二万五〇〇〇

76

清水敬

金一三万四〇〇〇

77

滝沢芳郎

金四七万一〇〇〇

78

渡辺吉司

金八六万八〇〇〇

79

藤巻卓次

金二七五万四〇〇〇

81

佐藤登一

金一五万一〇〇〇

82

小俣源造

金四二万四〇〇〇

83

藤巻文夫

金一三万四〇〇〇

85

松本まん

金一一万四〇〇〇

87

滝沢淳

金一五万三〇〇〇

88

高橋はる

金一一万四〇〇〇

90

中島修二

金一八九万一〇〇〇

91

櫻井房次

金九万五〇〇〇

93

須藤加久治郎

金二五万〇〇〇〇

94

戸塚一郎

金一〇六万四〇〇〇

95

田中いね

金九五万五〇〇〇

97

白石辰之助

金六五万三〇〇〇

99

箕浦はる

金八五万四〇〇〇

100

白石五郎

金九四万八〇〇〇

101

松本好広

金一五六万九〇〇〇

104

大久保かつ

金六四万二〇〇〇

105

萩原博

金一〇〇万四〇〇〇

106

白石一郎

金三〇万六〇〇〇

107

伊早坂ふ

金七一万三〇〇〇

108

櫻井笙太郎

金一八万九〇〇〇

事実《省略》

理由

第一  安中公害

最初に、この判決理由において用いる安中公害の意義を説明する。次いで、安中製錬所の歴史及び同製錬所と周辺の状況について述べ、被害の概略を明らかにする。更に、関係住民運動及び汚染農地指定と土壌改良事業について判示する。

この判決において当裁判所が認定に用い理由中に掲記する書証のうち、別紙「証拠目録」記載第一及び第二の各一の(一)に含まれるものの成立(又は原本の存在及び成立、以下同じ)は当事者間に争いがなく、同(二)及び(三)に含まれるものは、本件口頭弁論の全趣旨(別紙「書証目録―証言により成立を認定するもの」記載の書証については、加えて当該証言)により成立を認める。

一  安中公害

この判決理由においては、被告経営の安中製錬所の操業に伴つて同製錬所周辺の相当範囲にわたり大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染による生活環境に係わる被害が生じたことを指して「安中公害」という。

本訴請求の原因として原告らが主張する生活環境に係わる被害は、主として農作物の減収・有毒化被害及び養蚕被害である。

原告らは、安中公害は安中製錬所の排煙排水に含まれる有害物質、主としてカドミウム、亜鉛及び鉛の重金属並びに硫黄酸化物が原因であると主張し、被告は、安中製錬所の排煙排水にカドミウム、亜鉛等の重金属及び亜硫酸ガスが含まれていたこと、その排出が原因となつて同製錬所周辺に土壌汚染が生じたこと及び同製錬所周辺の鉱害対策委員会の補償要求の対象とされた地域において程度はともかく農作物、養蚕の減収被害が生じていたことを認めるものである。

二  安中製錬所の歴史

1〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

安中製錬所の沿革は、昭和一二年被告(昭和一六年二月変更前の商号日本亜鉛製錬株式会社)が水利(柳瀬川)及び傾斜地の立地条件を満たす群馬県碓氷郡安中町中宿一四四三番地に建設した亜鉛電解工場から発し、同製錬所は同年六月から輸入焙焼鉱石を原料として電気亜鉛の製錬を開始した。

しかし、満州事変が拡大するにつれて輸入鉱石に依存することができなくなつたので、被告は、昭和一四年に子会社として設立した日本亜鉛株式会社により、当時長崎県下県郡佐須村(対馬島)にあつた対州鉱山を買収し、昭和一八年から亜鉛鉱石の採掘を始めたが、まもなく第二次世界大戦の影響により採掘が不可能となつた。

安中製錬所は、その間、昭和一七年二月から黄銅屑を原料として電気銅及び電気亜鉛の再製作業に転換していたが、終戦後昭和二二年に対州鉱山が再開されるに及び、昭和二三年からその鉱石を訴外三井鉱山株式会社彦島製錬所や同東北亜鉛鉱業株式会社茨島工場に委託して焙焼し、その焙焼鉱石を原料として電気亜鉛等の製錬を開始した。

被告は、その後、対州鉱山での採掘が本格化すると、採掘―焙焼―製錬の一貫作業によつて亜鉛の生産を能率化するとともに電気亜鉛の製錬に必要な大量の硫酸を自家住産して経費節約を図るため、自社で亜鉛鉱石を焙焼し、その焙焼工程から生ずる亜硫酸ガスを回収して硫酸を製造することとし、昭和二六年八月頃安中製錬所に焙焼炉と硫酸工場を増設して設備を大幅に拡充し操業を開始した。(以下右増設を「大増設」という。)

右大増設は、安中製錬所の生産内容及び生産量をみるうえで同製錬所の歴史を画するものである。その後、安中製錬所は、昭和二九年に亜鉛華の製造を、昭和三一年にダイカスト用亜鉛基合金の生産をそれぞれ開始し、昭和三二年には後記のとおり北野殿地区農民の反対運動にもかかわらず銅電解工場を増設して電気銅の製錬を再開し、昭和三六年に亜鉛製錬設備を増設するとともに鉄電解設備を新設し、昭和四〇年に亜鉛製錬設備を増設するなどして次々と生産を拡大してきたが、後記のとおり違法増設が問題となつてからは生産は拡大されていない。

2〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

安中製錬所は、大増設以前は電気亜鉛のほか電気銅、電気鉛、硫酸銅、硫酸亜鉛、亜鉛末、カドミウム等を生産していた。そして、大増設以降、硫酸をはじめとして逐次生産品目を増加し、昭和三八年頃には電気亜鉛、電気鉛、電気銅、亜鉛合金、亜鉛末、稀硫酸、濃硫酸、発煙硫酸、硫酸亜鉛、カドミウム、亜鉛華、インジウム、銑鉄、電解鉄、金、銀、ビスマス、アンチモン、硫酸銅を製造していたが、その後、一部品目の生産を中止し、昭和四五年頃からは電気亜鉛、亜鉛合金、亜鉛末、亜鉛華、カドミウム、インジウム、薄硫酸、濃硫酸、発煙硫酸を生産している。

右生産品中の電気亜鉛、亜鉛華、カドミウム、硫酸の生産量の推移は次のとおりである。

(一) 電気亜鉛

昭和一二年六月製錬開始の頃は月産四〇〇トンであつた。その後、亜鉛鉱石の輸入が困難となつて減少し、昭和二三年対州鉱山の亜鉛鉱石を原料とするようになつてから増加のきざしをみせたが、昭和二五年四月には未だ月産二九一トンであつた。

そして、

昭和二六年四月 月産 四一四トン

昭和二七年九月 月産 一〇〇〇トン

昭和三二年七月 月産 一三〇〇トン

昭和三四年八月 月産 一六〇〇トン

昭和三六年四月 月産 二四〇〇トン

昭和三八年三月 月産 四六〇〇トン

昭和四〇年三月 月産 五四〇〇トン

昭和四二年三月 月産一万〇七五〇トン

昭和四四年三月 月産一万四五〇〇トン

昭和四五年三月 月産一万七〇〇〇トンと生産量は増大したが、昭和四五年頃を境に減少し、昭和四六年三月には月産一万一六〇〇トンとなり、昭和五四年三月も同量である。

(二) 亜鉛華

昭和二九年六月に生産が開始され、その頃月産四五〇トンであつた。

そして、

昭和三八年三月 月産 七五〇トン

昭和四〇年三月 月産 九五〇トン

昭和四二年三月 月産 一二〇〇トン

昭和四四年三月 月産 一八〇〇トン

昭和四五年三月 月産 二六七五トンと生産量は増大したが、昭和四五年頃を境に減少し、昭和四六年三月には月産一五七五トンとなり、昭和五四年三月も同量である。

(三) カドミウム

昭和一四年に生産が開始され、第二次世界大戦の影響で一時生産が中止されていたが、昭和二三年九月から再開され、照和二五年四月には月産1.61トンであつた。

そして、

昭和三八年三月 月産 二五トン

昭和四〇年三月 月産 四二トン

昭和四二年三月 月産 七五トン

昭和四五年三月 月産 一〇〇トンと生産量は増大したが、昭和四五年から昭和四七年まで横這い状態で、昭和四八年三月には月産五五トンに減少し、昭和五四年三月も同量である。

(四) 硫酸

昭和二六年九月に薄硫酸の生産が開始され、その頃月産一五〇〇トンであつたが、昭和三七年二月から濃硫酸の生産が加わり、その頃月産三五〇〇トンであつた。そして、濃硫酸の生産量は

昭和四〇年三月 月産 三〇〇〇トン

昭和四二年三月 月産 三五〇〇トン

昭和四三年三月 月産一万一〇〇〇トンと増大したが、昭和四三年から昭和四六年まで横這い状態で、昭和四七年三月には月産一万〇五〇〇トンに、昭和四八年三月には月産六三七〇トンに減少し、昭和五四年三月は月産六四〇〇トンである。

三  安中製錬所と周辺の状況

1地勢、風

(一) 地形、水系

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

安中製錬所は、国鉄信越本線安中駅南方にある丘陵の北側の広範な傾斜地及びその裾の平地を敷地とし、工場等多くの建物が建てられている。安中製錬所の敷地は、その南西隅の一部が安中市大字野殿、南東隅の一部が大字岩井にそれぞれ属するほかは、大字中宿の地内にある。安中製錬所の敷地の南側は、丘陵の上部で、台地となつており、この一帯は野殿の地内である。野殿の西縁部は丘陵の下り傾斜地となつていて、その裾には天神川が南から北に走り中宿地内で他川と合流して柳瀬川となる。天神川の両側には僅かに平地があり、平地の西側は丘陵となり、その西側は大字安中地内の平地に続く。野殿の台地の東縁部は、下り傾斜地を経て水境川及びこれが合流する岩井川に至る。

右両川は、おおむね南から北に向つて蛇行して岩井地内に入る。

柳瀬川は、南西から北東に向つて中宿地区を縦断し、安中製錬所敷地の北西隅を横切つて走り、中宿地内北東隅で碓氷川に流れ込んでいる。

柳瀬川の両側は、安中製錬所敷地付近を除き、平地が広がつており、その北部は碓氷川に至る。

岩井川は、岩井地内を南西から北東に向つて走り、これも碓氷川に流れ込んでいる。岩井川には南東から北西に向つて走る倉品川が流れ込んである。岩井川、倉品川の合流点までの上流両側には僅かに平地があり、合流点の下流地域には平地が広がつている。

ところで、安中製錬所の周辺は大字野殿、中宿、岩井、安中、板鼻の五つの地区に別れており、野殿地区は、同製錬所敷地の南側台地で、東は岩井川を越えてその先の丘陵地を一部含み、西は天神川を越えて対岸川沿いの平地の部分を含んでいる。中宿地区は、野殿台地北側の傾斜地及び平地であり、平地の北側は礁氷川に至り、東側で後記岩井地区に、西側で安中地区に接している。岩井地区は、野殿地区の北東に接し、東部の丘陵地と西部の碓氷川以南の平地とを含む地域であり、西側で中宿地区と接している。安中地区は、野殿地区の西方にある丘陵地及び平地であり、平地は碓氷川をはさんで両側に広がるかなり広大な地域である。安中地区の東側は中宿地区及び板鼻地区とも接している。板鼻地区は、碓氷川の北側流域の平地及び山地であり、西側で安中地区と接している。

(二) 風向、風速

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

安中製錬所周辺地域に吹く風は、おおむね、寒候期(一〇月から三月)においては西ないし西北西の風が多くて、風は強く、暖候期(五月から八月)においては南東の風が多くて、風は弱い。寒暖両期の区分期にあたる四月及び九月は東の風と西の風が同程度に吹き、年間を通じて南の風あるいは北の風が吹くことは少ない。

なお、群馬県が安中製錬所周辺において昭和四四年から公害に関し種々の調査を実施したことは後記のとおりであり、そのうち風向、風速調査の結果は年度によりさほどの差異はなく、従来の風向、風速の状況もほぼ同様と推測される。その昭和四六年度調査結果を参考までに掲げると別紙同年度月別風配図のとおりである。

2土地利用

(一) 安中製錬所周辺の農地

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

安中製錬所周辺には多くの農地があり、それはおおむね丘陵地と河川の周辺に広がる平地とに大別され、主に前者は畑、後者は水田として利用されてきた。

(1) 畑作地帯

野殿地区の台地及び傾斜地の農地としては、畑が多く、天水田も散在している。岩井地区の丘陵地(主として岩井川の東側)は畑作地帯であり、一部に水田もある。天神川西方の安中地区丘陵地は畑作地帯である。

畑作地帯の土壌は、火山灰を主体とする土壌で、土性はおおむね壌土(粘土や砂が適度に混じる土)に属し、関東ローム層の土壌とほぼ同質である。

(2) 水田地帯

碓氷川に沿つて広がる平地は、主として水田に利用されている。この地域のうち、安中製錬所敷地の北側柳瀬川下流域一帯は中宿田圃と俗称される水田地帯であり、その上流の碓氷川流域の水田地帯は安中田圃、碓氷川下流域岩井地区内の水田地帯は岩井田圃とそれぞれ呼ばれる。

水田地帯の表土の土性は、主として壌土で、所により埴壌土、一部には埴土(粘土の多い土)もある。下層は大きな砂礫の層がある地域はほとんどない。碓氷川流域の水田地帯は、河岸段丘地であり、農林官庁の分類方式にいう灰褐色土壌で、表土は壌質から粘質のものが多く、下層は壌土型であり、減水深は一日約二五ミリメートルであつて、稲作における水の浸透量としては適量の地帯である。

(二) 工場敷地の拡張

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

安中製錬所の敷地は、前記のとおり野殿丘陵北側の傾斜地にあるが、製錬所敷地となる前は桑園や普通畑があり、被告は田園地帯に用地を買収して工場を建設したもので、その面積は昭和一五年頃までは三万七〇〇〇平方メートル余りであつて、傾斜地の一部を占めるにすぎなかつた。

しかし、その後、被告は用地を追加買収して敷地を次第に拡張し、その面積は、昭和二六年七月には八万一〇〇〇平方メートル余り、昭和三八年三月には三〇万平方メートル余り、昭和四〇年三月には四〇万四〇〇〇平方メートル余り、昭和四二年三月には四一万五二一三平方メートル、昭和四四年三月には四三万五七五三平方メートル、昭和四六年三月には五〇万五九一五平方メートル、昭和四八年三月には五一万二三三一平方メートル、昭和五四年三月には五五万六七六一平方メートルとなり、当初の頃に比べると、四方に敷地が拡張され、特に東側への拡張の程度は大きく、野殿台地北側の傾斜地はほとんど敷地に取り込まれ、敷地は北側平地にまで及んでおり、その形状は、広大な東西に長いほぼ長方形をなしている。

四  被害の概略

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1収穫

安中製錬所周辺の前記各地区の農地は、河川水利による灌漑水田、天水田、普通畑、桑畑等として耕作されてきた。

農民は、水田に水稲を作付けするほか、おおむね水田地帯にある田では冬作期に麦類などを作付けして二毛作をすることが多かつた。

畑では、普通畑として陸稲、大麦、甘藷、大豆、小豆その他野菜等を栽培するほか、かなりの面積が桑畑として耕作され、普通畑と桑畑の割合は時期により異なる。

これらの耕作により、農民は、米麦その他の農作物を収穫し、養蚕をして現金収入を得ていた。

2農作物の減収・有毒化

農作物は、一般に生育や結実に悪影響を受け、安中製錬所の操業規模及び生産の拡大につれて、次第に被害地域の範囲が拡大するとともに被害程度も増大し、被害の激しい所では発芽しなかつたり生育途中で枯れたりし、同製錬所から離れるに従つて被害は軽減するが、発育不全その他の異常を生じて収量の減少や品質の低下を来たした。

このような状況にあつて、人によりまた時期によつて相違はあるが、農民は、肥料、土壌改良剤等の投入や深耕その他耕作方法に工夫と努力をしたけれども、被害を免れることはできなかつた。

農作物の被害としては、収量減少及び品質低下のほかに、重金属の含有量が増加して後記のようなカドミウム汚染米の問題を生じたり、硫黄酸化物等による蚕に有毒な桑葉の汚染を生じることがあつた。

3養蚕被害

桑畑の被害としては、桑葉収量の減少もあるが、養蚕農家の被害の実質は、桑葉の前記有毒化により甚だしい場合は死に至る程の蚕の生育阻害又は繭の異常を来たし、そのため収繭量や品質が低下する危険にさらされるところにあり、ひいては桑畑利用を制限され、掃立量へも悪影響を及ぼすことになる。

これに対処するため、有毒化の危険な桑畑を保有する養蚕農家は、より遠方に桑畑を設け又は買桑するなどして代替の桑を調達し、あるいは桑葉の採取時期を工夫したり混ぜ桑をしたりして、人によつては時には失敗もしながら、努力しなければならなかつた。

五  住民運動及び汚染農用地指定と土壌改良事業

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1戦前の公害反対運動、補償要求運動

安中公害は、昭和一二年六月安中製錬所が操業を開始してまもなく被害が現われ始め、突発的被害として、当時新聞に報道された主なものは、昭和一二年から一三年にかけ中宿地区の桑園及び蚕に被害を生じたこと、同年七月三日同製錬所集水池等が決壊して排水等が流れ込み中宿、岩井の水田を汚染したこと(右両者は当事者間に争いがない。)などがあり、他に同製錬所西側近傍の雉子観音境内地の樹木が害を受け、碓氷川下流の高崎方面でも養鯉池や用水路の魚が死んだり水稲が減収したりした事件があつた。

このような被害を受けた農民らは、被告に対して厳重に抗議し、併せて損害の補償と今後の被害防止対策を要求し、更に、群馬県知事に対して要求を実現するために被告に働きかけるよう要請した。被告は、昭和一六年に中宿地区農民に対する補償金の支払いをしたことはあつたが、格別公害防止対策を施すこともなかつたし、右の補償金も農民らを満足させる金額ではなかつた。

2戦後の公害反対運動、補償要求運動

(一) 大増設反対運動

第二次世界大戦の前後頃から昭和二三年頃までは、操業規模が小さかつた関係で目立つた被害は発生しなかつたので、際立つた住民運動はみられなかつた。

昭和二四年、中宿地区(当時安中町大字中宿)の農民は、被告が大増設を計画していることを知り、同年九月頃からしばしば区民大会を開き、被害が増加するとして反対の決議をし、群馬県知事に計画を認めないよう訴えた。

被告は、右の大会に担当者を出席させて、計画の概要を説明したうえ、「会社は鉱毒を出さぬ方針であるから計画を了承されたい。どうしても了解が得られないときは東京方面に候補地を変更する。」旨を述べながら、その直後の同年一〇月初旬、前記焙焼工場及び硫酸工場の建築許可申請書を所轄官公庁に提出するなど計画実現を推進した。

中宿地区農民は、計画にあくまでも反対し、岩野谷村(町村合併前の岩井、野殿外一地区)農民らに呼びかけ、同村農民らもこれに呼応し、反対運動の組織として、中宿地区に中宿鉱害対策委員会、岩野谷村に岩野谷村鉱害対策委員会が作られ、また、近隣市町村にも同様の委員会が組織された。(これらの組織を「旧鉱害対策委員会」という。)

そして、同年一二月頃、中宿地区、岩野谷村の農民らの呼びかけで、これら旧鉱害対策委員会相互間に連帯が生まれ、東邦亜鉛鉱害対策委員会連合会が結成され、原告藤巻卓次が委員長に就任した。同連合会は、昭和二五年一月頃から農民大会を開いて工場建設反対を決議し、被告に対しその旨の申し入れをし、群馬県知事など関係方面に陳情したほか、上京して通商産業省等関係官庁や国会、占領軍当局に訴えるまでしたが、これらはほとんど無視された。

そうするうちに、既に建設省が被告の前記建築許可申請に対し正式に許可を与えていたことが判明するに至つて、連合会の結束が弱まり、その後は、各旧鉱害対策委員会は、大増設反対運動をやめて、個々に被告に対し被害補償を要求するようになつた。しかし、被告は、旧鉱害対策委員会が地区単位でなく大きな町村単位であることを理由として、交渉すら拒否する態度をとつたので、旧鉱害対策委員会は自然に消滅していつた。

(二) 被害補償交渉

前記旧鉱害対策委員会解体後、農民らは小地域に分れて集団的に被告と被害補償交渉を続けるに至つたが、被告から多勢を相手とする交渉に難色を示されたこともあつて、昭和三〇年頃から、被告との交渉組織として、新たにおおむね地区ごとに委員が選ばれて様々な名称を付した鉱害対策委員会(鉱対委)が作られ、被告と交渉するようになつた。その交渉において、被告は容易に被害の発生を認めようとはしなかつたが、結局、鉱対委エリアの範囲内に限り被害を与えたことを認めるに至り、その地域範囲は以後もほとんど変ることはなく、被告は各鉱対委との間で、鉱対委エリア内の被害について毎年交渉し、要求額には満たなかつたが、補償金、見舞金、協力費等各種の名目でなにがしかの金員を授受してきた。

(三) 銅電解工場等増設反対運動

昭和三一年頃、被告は五か年計画のもとに銅電解工場、亜鉛華製造工場の増設などを計画し、これを知つた北野殿地区農民らは、被害の激化をおそれ、北野殿鉱対委を先頭に、被告に対し計画反対を申し入れるとともに、群馬県知事らに再三陳情した。しかし、被告は同県知事に公害防止等に関する誓約書を提出して、昭和三二年三月頃東京鉱山保安監督部長から計画に係わる施設変更の認可を得たうえ、銅電解工場等を建設して操業するに至つた。

(四) 超高圧電線架設反対運動

昭和四二年頃、被告は、安中製錬所の操業規模の拡大に必要な電力を確保するため、高崎市乗附、鼻高を経て岩井地区を通り後記変電所までの間に二七万五〇〇〇ボルトの超高圧電線を架設する工事を開始し、岩井地区内の右電線用鉄塔建設予定地及び電線が通る土地の所有農民らは、被告に工事反対を申し入れ、安中市長や群馬県知事らに陳情するとともに、被告の用地買収の申し込みには応じなかつた。しかし、右農民らの中から脱落者が出るに及び原告藤巻卓次を委員長とする送電線設置工場拡張反対期成同盟が結成されて反対運動の結束を図つたにもかかわらず、被告の高額買収に応じて売却する者が続出し、右同盟員は次第に減少したが、残る約一〇名の者が用地を売り渡さないため、右架設工事は完了しないままになつている。

(五) 昭和四二、三年の違法増設とその後の反対運動等

被告は、あらかじめ所轄東京鉱山保安監督部長に対する施設変更の認可申請をしないまま、昭和四二年から、電気亜鉛について月産一万一六〇〇トンを月産一万一七〇〇トンに、亜鉛華について月産一五七五トンを二六七五トンにそれぞれ生産能力を増強する生産施設の変更工事を開始して昭和四三年一一月頃にはその工事をほぼ完了したうえ、違法にその使用を開始し、その後初めて認可申請の手続をし、昭和四四年一月二五日付で認可を得た。そして、被告は、同鉱山保安監督部長より変更施設を検査合格前に違法使用しないよう文書で警告を受けたにもかかわらず、これを無視し、同年四月東京鉱山保安監督部が安中製錬所に立入検査をした際には変更施設の操業を停止して違法操業の事実を隠ぺいするなどして、同年六月頃まで操業を続けた。

周辺農民らは、右の事実を知り、その頃通商産業大臣に対し施設変更認可の取り消しを求める審査請求をし(以下審査請求者の集団を認可取消請求人団という。)、更に、同年八月頃被告並びに当時の安中製錬所長らを鉱山保安法違反罪の被疑者として前橋地方検察庁に告発した。

右審査請求については、昭和四五年二月一八日付をもつて、被告の認可申請にかかる施設変更は鉱害防止上問題があるとされて排煙排水処理施設関係を除き認可取り消しの裁決がなされた。

右鉱山保安法違反の犯罪については、昭和四四年七月頃から関係機関による捜査がなされ、被告及びその関係者は、前橋地方裁判所に公訴を提起され、昭和四五年五月一四日有罪判決の宣告を受けた。

なお、被告は、右認可取消裁決の日に通商産業省から受けた指示に従い、同年四月から排出施設の改善工事(以下「排出施設改善工事」という。)に着手して昭和四六年三月頃ほぼ完了した。そこで、東京鉱山保安監督部、群馬県、安中市及び高崎市は共同で、鉱害防止の効果の有無を総合的に検査し、同年八月頃その結果(以下「総合検査結果」という。)をまとめた。それによると、排煙排水中の有害物質はほとんど国の基準以下であつて十分に改善の効果をあげたものと認められるとの結論に達している。

(六) 公害防止等協定締結交渉

前記施設変更認可の取り消し後、認可取消請求人団は、安中公害弁護団を通じて被告に対し、公害防止等の協定を締結するよう申し入れ、昭和四五年四月頃から数回交渉した結果、同年七月被告もこれに同意し、同年八月頃から協定内容について本格的な交渉が始まり、同年九月認可取消請求人団から協定案が提示された。右提案は、過去の被害を含めて被告に損害賠償義務があること及び被告が参加しない監視委員会を設置することを定め、また、有害物質発生源対策、立入検査その他の公害防止措置、過去の被害補償及び汚染農地の原状回復などの取り決めを要求するものであつたところ、被告は、先ず賠償義務の確認及び監視委員会の構成を問題にし、過去の被害については、各鉱対委を通じて被害農民に賠償ずみであり、その賠償義務を協定文に記載することは時効の利益を放棄することにもなるので応じられない旨主張して、これらの削除を要求したため交渉は進まなくなつた。そこで、被告は、交換条件として、前記の超高圧電線の架設及び認可申請施設の稼働に対する同意と協力を求め、更に折衝を重ねたが妥結に至らず、時日を経過した。

これより先昭和四三年頃、被告は、訴外高崎信用金庫が岩井地区農民ら一〇数名から運動場用地として買い受けていた同地区西ノ平の農地を、交換により同金庫から取得したうえ、右元所有農民ら名義の右交換に対する同意書を添えて、農地法五条による許可後の計画変更を申請し、同地に変電所を建設していたところ、前記交渉中の昭和四六年一〇月頃、右農民らの一部が安中市農業委員会に対し、右同意書は偽造であるとの主張のもとに、右変更申請を却下して変電所施設の撤去を被告に命令することなどを要求したことから、新たな紛争を生じ、被告は、態度を硬化させて、同年一二月六日認可取消請求人団に対し、交渉を打切る旨通告し、ここに交渉は決裂するに至つた。

(七) 安中市外の住民運動

前記のとおり大増設後さらに碓氷川下流の地域にも被害が発生し、高崎市内の被害者らは、昭和三一年九月頃東邦亜鉛鉱毒対策促進期成同盟を結成し、被告に対して土壌改良や排水の放流地点変更等の要求を繰り返し、これら住民運動の結果群馬県に公害対策協議会が設置された。

被告は、昭和三二年一月頃、群馬県知事に対し、公害の責任を認め、除毒施設について万全の措置を講ずるとともに県の指示に従う旨約束するに至り、群馬県知事は、公害対策協議会の調査に基づき、従来柳瀬川にあつた排水の放流地点を安中製錬所から約五キロメートル先の碓氷川下流に移す特殊パイプ埋設による延長放流路設置工事、灌漑水源を烏川に変更する取水工事及び耕地復旧客土工事の事業計画を建て、右計画工事は、被告も費用の一部を負担して、昭和三四年に着工、昭和三九年に完成した。

3汚染農地指定と土壌改良事業

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

厚生省によるイタイイタイ病原因物質についての昭和四三年五月の見解発表を契機として、カドミウムによる環境汚染問題は全国に波及し、厚生省は、他の河川流域とともに碓氷川・柳瀬川流域をカドミウム等微量重金属による環境汚染調査研究の対象地域と定めて種々の調査を実施し、昭和四四年三月「カドミウムによる環境汚染に関する厚生省の見解と今後の対策」として調査結果をまとめ、これらの地域においては今直ちにイタイイタイ病が発生する危険があるとは考えられないが、安全を見込んで今後これらの地域を要観察地域に指定して継続的な対策を行うことが必要である旨発表した。更に、厚生省は、右カドミウム汚染要観察地域における住民のカドミウム摂取量を減少させるため、昭和四五年七月、これらの地域における農家の自家保有米の安全基準として玄米1.0ppm未満(精白米0.9ppm未満)を定め、次いで、食品としての米の安全基準を右と同一濃度で定めた。(既に厚生省によつてカドミウムによる環境汚染の判断尺度として定められていた玄米中のカドミウム濃度0.4ppmは、食品としての安全、危険の判断と直接に結びつくものではなく、この濃度を超えるカドミウム汚染の場合は精密な環境調査の実施を要するというものである。)

昭和四四年碓氷川・柳瀬川流域がカドミウム汚染要観察地域に指定されたことにより、群馬県は、直ちに同流域の環境汚染対策を立て、土壌中のカドミウム濃度や農作物のカドミウム含量等の調査を実施するようになつたが、前記安全基準が設定されたことを受けて、昭和四五年七月、右調査の結果立毛玄米中のカドミウム濃度1.0ppm以上を検出した水田を中心として用水系統等の条件を考慮し安中市内及び高崎市内に合計約10.5ヘクタールの地域を定め、この地域内の水田において産出する米はすべて玄米中カドミウム濃度が1.0ppm以上であるとみなし、当該水田を耕作する農家の保有米全量を玄米中カドミウム濃度が1.0ppm以上であるとみなして凍結することとした。(以下右地域指定を「汚染田指定」という。)

群馬県は、右第一次汚染田指定後も継続して実施した立毛玄米中のカドミウム濃度調査に基づいて、昭和四五年一二月(第二次)及び昭和四六年一二月(第三次)汚染田指定を追加した結果、安中市内における指定地面積の合計は約49.2ヘクタールとなり、その詳細は次表のとおりである。

なお、高崎市内の指定地面積は昭和四五年度2.2ヘクタール、昭和四六年度20.07ヘクタールである。

(単位 ヘクタール)

地区名

安中

鶴巻

中河原

中宿

道道巻

石橋

野殿

切通

北浦

岩井西

中宿・

岩井

板鼻

砂子

面積

2.51

1.76

0.96

2.12

1.90

0.70

1.23

33.50

1.40

3.10

49.18

指定年度別

46年度

2.51

1.76

0.96

2.12

1.90

1.23

10.48

45年度

0.70

33.50

1.40

3.10

38.70

群馬県は、昭和四七年四月、土染法三条一項による農用地土壌汚染対策地域(以下「対策地域」という。)として、昭和四四年から継続して実施してきた土壌及び立毛玄米のカドミウム濃度調査の結果を同法施行令二条一項一号及び二号に定める要件に照らし(それぞれ要件に該当する地域を一号地域、二号地域として)、碓氷川流域約一一八ヘクタールを指定したが、この指定には前記汚染田の大部分が含まれていた。そして、群馬県は、水田にとどまらず、昭和四八年二月及び昭和四九年三月に安中市内の畑15.66ヘクタールを対策地域に指定したほか、高崎市内の水田0.42ヘクタールを追加指定したことにより、対策地域の総面積は約一三四ヘクタールとなつた。その安中市内における詳細は次表のとおりである。

なお、高崎市内の指定地面積は計28.42ヘクタールである。

群馬県は、昭和四七年八月、土染法五条に基づく対策計画を定め、当初の対策地域一一八ヘクタールについて宅地となる二ヘクタールを除いて排客土事業を行うこととし、右事業は同年から実施に移された。その後、右事業の対象面積に変更を生じ、昭和五四年当時は106.71ヘクタールとなり、そのうち85.10ヘクタールは事業を完了し、残るは野殿北浦の水田0.61ヘクタール、野殿及び岩井の畑二一ヘクタールである。

第二  被害発生の過程及び範囲

一  安中製錬所の生産工程と排出物

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1安中製錬所は、操業開始当初の頃、焙焼亜鉛鉱石(焼鉱)を原料として電気亜鉛の製錬を行つていた。その生産工程は、亜鉛鉱石を硫酸で溶解し、これを濾過して残滓を取り除いた後の濾過液に、亜鉛粉末を加えて不純物を取り除いた後、その液を電解して亜鉛を製造するものである。大増設以後従来からの電気亜鉛、カドミウム等の生産に加えて鉱石焙焼及び硫酸製造を行うようになつてからの生産工程は、大きく分けると、亜鉛鉱石を焙焼して焼鉱とし同時にその過程から発生する亜硫酸ガスを回収して硫酸を製造する焙焼工程、焼鉱を溶解槽で硫酸により溶解して不溶解残滓と不純硫酸亜鉛液とに分離したうえ残滓を更に濾過して第一次鉱滓と亜鉛液とに分離し、右各亜鉛液を浄液槽に集め各種浄液剤を加えて不純物(カドミウム、銅、鉛等、これらは浄液滓となる。)を沈澱させて精製液を作る造液工程、精製液を電解槽で電気分解して電着亜鉛を作り電気亜鉛を鋳造する電解工程、浄液滓からカドミウムを製造するカドミウム製造工程の以上四工程から成り立つており、昭和二九年頃からは造液工程で生じた第一次鉱滓から亜鉛華を製造する亜鉛華製造工程が加わつた。これらの各生産工程及び副産品の生産等を含めた亜鉛製錬の操業系統を図示すると別紙亜鉛製錬操業系統図のとおりである。

ところで、原料の亜鉛鉱石には亜鉛が52.5パーセント、硫黄が31.5パーセント、鉛が1.0パーセント、銅が0.5パーセント、カドミウムが0.3パーセントその他が含まれているので、焙焼の工程でこれらの重金属は一部が蒸発して酸化物微粒子となり亜硫酸ガスなどと共に焙焼炉から排出され、造液工程で多くの濾過操作において機材や鉱滓を洗浄する際に洗浄廃液に重金属や硫酸が混じつて排出され、電解工程で電着亜鉛を洗浄する際に精製液中の硫酸が洗浄廃液に混入し、電着亜鉛を溶融、鋳造する工程で酸化亜鉛微粒子が排気と共に放出され、カドミウム製造工程で浄液滓を用いて溶解、浄液、電解など亜鉛製造と類似の工程を経る過程で重金属や硫酸が排出される。また、亜鉛華製造工程では、第一次鉱滓中に含まれているカドミウムが乾燥や焼結の工程で蒸発し酸化カドミウム微粒子となつて排気と共に放出される。そのほか、以上の各工程で使用される硫酸の蒸気も排出される。

また、製錬所構内に野積みされる鉱滓にも重金属や硫酸が含まれている。

2前記各生産工程から発生した重金属や硫黄酸化物を含んだ煙などの排気は安中製錬所の煙突や排気塔から継続的に大気中に放出されてきた。特に、亜鉛華製造工程の乾燥炉、硫酸製造工程の設備、亜鉛等の鋳造工程の煙突からはそれぞれ重金属や硫黄酸化物を含んだ大量の排気が放出されていた。

一方、前記各生産工程から発生した重金属及び硫酸を含んだ廃液や鉱滓から滲み出た液は、構内北側の集水池に集められ、中和のため石灰を混ぜて沈澱させたのちの上澄み廃液は、従前は柳瀬川に放流され、延長放流路が完成した昭和三九年頃からは高崎市金ケ崎で碓氷川に放流されてきた。かつては、大雨などの際に大量の廃水が石灰を投入しただけで放流されたり、時には造液や電解工程の各槽から溢れ出た液がそのまま流出したりしたことがあつた。また、沈澱した汚泥の保管にも問題があり、これを集めた池が大雨や夕立などの際にしばしば溢れ、時には決壊し汚泥が押し流されて柳瀬川に流れ込むことがあつた。

二  安中製錬所周辺の土壌汚染

1土壌の重金属濃度

(一) 甲第一七九号証(日本土壌把料学雑誌四四巻一二号)によれば、以下の事実が認められる。

昭和四五年六月頃、岡山大学農業生物研究所の小林純教授らは、安中製錬所周辺の土壌約二五〇点を距離、方向別に、表層(地表面から一〇センチメートルまで)と下層(一〇ないし三〇センチメートル)とに分けて採集し(水田の場合は水口から水尻に向つて一〇メートルの地点で五点を採集しよく混合して試料とした)、硝酸分解・原子吸光分光光度法によつてカドミウム、鉛、亜鉛の含有量を測定した。その結果は別紙土壌重金属測定表のとおりである。

小林教授らは、その調査結果を、表層土と下層土、更に安中製錬所の煙突から半径一キロメートル以内と、半径一キロメートル以上とに分けて、カドミウム、鉛及び亜鉛の濃度の分布図に表わしたが、その表層土における分布は別紙重金属(カドミウム、鉛、亜鉛)分布図のとおりである。

また、同教授らは、方向に関係なく安中製錬所の煙突からの距離と表層土中のカドミウム、鉛、亜鉛の含有量との関係を別紙土壌重金属距離濃度関係図表のとおり図示している。

そして、同教授らは、前記調査結果により、(1)土壌中の重金属の含有量は安中製錬所煙突からの距離と著るしい相関関係があり、距離が近いほど濃度は高いこと、例えば、表層土中のカドミウム含有量との関係を東方向についてみると、五〇〇メートルまでの範囲では約三五ppm、一キロメートルまでは約一〇ないし二五ppm、二キロメートル付近では五ないし一〇ppm、三キロメートル付近では約0.6ないし2.5ppm、四ないし五キロメートル付近では約0.5ないし1.8ppmの程度であること、(2)方向別では東方の岩井地区の表層土の濃度が最も高く、南方の野殿地区がこれに次ぎ、北方は相対的に濃度が低いこと、方向別に表層土の重金属の最高値を選び出してみると、東方向ではカドミウム三七ppm(畑、距離五〇〇メートル)、鉛九五〇ppm(原野、距離二〇〇メートル)、亜鉛二一〇〇ppm(畑、距離五〇〇メートル)、南方向ではカドミウム一八ppm(畑、距離三〇〇メートル)鉛二一〇ppm(同)、亜鉛一三〇〇ppm(同)、西方向ではカドミウム9.0ppm(水田、距離七〇〇メートル)、鉛一二〇ppm(同)、亜鉛六六〇ppm(同)、北方向ではカドミウム一五ppm(水田、距離三〇〇メートル)、鉛九九ppm(同)、亜鉛一四〇〇ppm(同)であること、(3)煙突から一キロメートル以内の表層土及び下層土についてカドミウムと亜鉛、カドミウムと鉛のそれぞれの間に有意な相関関係があり、カドミウムと亜鉛について、表層土では回帰直線〔Zn〕=57〔Ca〕+81(〔 〕内はppm数値、以下同じ)、相関係数0.96、下層土では回帰直線〔Zn〕=67〔Ca〕+41、相関係数0.94で、カドミウムと鉛について、表層土では回帰直線〔Pb〕=7.5〔Ca〕+34、相関係数0.77、下層土では回帰直線〔Pb〕=6.1〔Ca〕+13、相関係数0.88であることを考察している。

(二) 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

昭和四五、六年に森下豊昭証人(当時東京教育大学助手)は、安中製錬所を中心として半径四キロメートルの範囲の農地約一二〇か所の作土層の土壌を採集し、硝酸―過塩素酸加熱分解・原子吸光光度法によつてカドミウム、鉛、亜鉛等の含有量を測定した。その結果は小林教授らの調査結果とほぼ同様であつた。

(三) 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

群馬県は、昭和四四年から実施した碓氷川流域の水田と畑の土壌中のカドミウム濃度等の調査のうち、昭和四五年の調査結果を小字別にして調査点数、濃度範囲、平均濃度等にまとめて発表した。右調査結果は、調査地番の記載がなく、分析方法の問題もあつて、小林教授らの調査結果と単純な比較はできないが、一般的にやや低い数値を示しているものの、汚染濃度の傾向としては同様である。

2土壌中の重金属の自然界値

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

カドミウム、鉛、亜鉛等の重金属は地球上に普遍的に存在し、土壌中にもある程度の量が含まれている。そして、その量(自然界値)については、土壌の性質によつて異なるが、一般にカドミウムの自然界値はわが国の水田や畑の土壌においては約0.4ppmないし0.5ppmであるといわれており、農林省農業技術研究所が昭和四五年に全国各都道府県の農業試験場で農用地おおむね一万ヘクタールに一点の割合で土壌を採集し分析した結果によると、全国各地の農用地の土壌中のカドミウムの含有量は、平均でおおむね0.5ppmである。

また、森下証人は、安中製錬所周辺の下層土の土壌を採取して約0.4ppmあるいは0.6ppmのカドミウム濃度を分析するとともに安中製錬所から遠方の地点の土壌を採集して約0.5ppmのカドミウム濃度を分析し、その結果安中製錬所周辺の土壌中のカドミウムの自然界値は約0.4ppmないし0.5ppmであると推測している。

3土壌汚染とその原因

(一) 前記小林教授らの調査結果によるカドミウム濃度は、ごくわずかの地点を除いて、すべて右自然界値を超えているので、カドミウムによる土壌汚染が生じていたということができる。

そして、安中製錬所周辺の土壌が通常値(自然界値と同義と解される。)を超えていること及びその原因が同製錬所の排煙排水によるものであることは、被告の認めるところである。

(二) 〈証拠〉によれば、同証人は、同人がした前記作土層調査の結果に植生観察調査をも加えて、カドミウムによる汚染の広がりを考察し、これによると、カドミウムの等濃度線は安中製錬所を中心としてほぼ東西方向を長軸とする楕円形の重なりとして示され、安中製錬所の北側で柳瀬川東側の水田に特に高濃度の汚染があること及び鉛、亜鉛についてもカドミウムと同様な状況であることが認められる。

前記の小林教授らの調査結果に右の森下証人の調査結果を総合すると、安中製錬所周辺土壌のカドミウム汚染の広がりについて、その特徴を知ることができる。

右特徴は、前認定の地形、水形、風向等を併せ考えると、汚染の経路を推測させる。即ち、等濃度線がほぼ東西に広がる楕円形の重なりで示される特徴は、前示の地形及び年間を通ずる風の方向と強さの状況により容易に説明できるので、安中製錬所の排煙中の重金属が風によつて周辺に運ばれ、自重降下して土壌に蓄積したことを認めることができる。また、中宿、岩井田圃の範囲内に重金属の高濃度汚染があることについては、前記のとおり中宿、岩井田圃が丘陵の中腹にある安中製錬所の北側下方に位置し柳瀬川、碓氷川から取水する水田であるため、汚染は、風によつて運ばれる重金属に加え、これら河川に放流された安中製錬所の排水中の重金属が灌概水に運ばれて土壌に蓄積したことによるものと認められる。

(三) 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。農林省北陸農業試験場が昭和四五年頃実験装置を使つてカドミウム濃度0.01ppmの水道水を土層に浸透させる土壌吸着、浸透実験をしたところ、カドミウムの九〇パーセント以上が土壌に吸着される結果が得られたほか、その頃同試験場がした別の実験によれば、灌排水や水稲による土壌中の重金属の変動は僅かなものであつた。

4排煙排水中の重金属の量

(一) 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

前記のとおり安中製錬所が昭和四六年に完了した排出施設改善工事に係わる前記総合検査結果その他の資料から、安中製錬所の排出施設改善工事後における年間カドミウム排出量は0.571トン程度であり、同工事前において操業規模がピークに達した昭和四三、四年における年間カドミウム排出量はその約一六倍の9.1トン程度を下らないものと認められ、前記の生産量の推移を併せ考えると、その頃までにかなりの量のカドミウムが大気中に排出されていたことになる。

(二) 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

採水場所

碓氷川原水

(安中地先

七回り)

工場

放流水

工場放流路

(柳瀬川合流前)

柳瀬川下流

(碓氷川合流

前一五〇m)

碓氷川原郷

取入前

碓氷川八千代橋下

(鳥川流入前)

PH

7.55

6.20

7.00

6.90

7.10

7.50

溶存

イオン

(ppm)

Zn

0.09

138.50

17.50

19.60

4.03

2.25

Cd

6.67

1.11

0.17

Fe

0.2

0.6

4.4

0.2

0.4

0.2

CaO

20.5

405.7

50.7

38.0

32.9

38.6

Cl

16.2

13.9

8.5

7.3

10.8

10.8

SO3

19.3

954.6

102.5

71.8

44.9

57.2

前記のとおり厚生省が昭和四三年度に実施した調査のうち碓氷川・柳瀬川流域のいくつかの地点における川水、川泥などのカドミウム濃度の調査結果は次表のとおりであり、これは、その後に実施された群馬県による調査結果に比べると高い数値を示している。

また、昭和三二年に群馬県公害対策協議会と被告とが共同で安中製錬所の周辺河川の水質等を調査した結果は、次表のとおりである。

右二つの調査結果からすれば、過去において安中製錬所の排水中にかなりの量の重金属が含まれていたことが推測される。

三  安中製錬所周辺の大気汚染

安中製錬所から前記のとおり排出されてきた大量の排気に含まれる硫黄酸化物の広がりについては、前認定の排煙中の重金属による土壌汚染が同製錬所を中心とするほぼ東西に長い楕円形状に広がる特徴に照らし、共に風によつて周辺に運ばれる硫黄酸化物も長期的には同じような特徴をもつて大気を汚染してきたものであることが認められる。もつとも硫黄酸化物の場合は、重金属の場合のような土壌への蓄積はないにしても、特定の方向をとるならば、安中製錬所から遠ざかるに従つて次第に汚染の頻度及び濃度が低くなることは推測するに難くない。

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

群馬県は、碓氷川流域環境汚染対策の一環として昭和四四年から安中製錬所周辺の大気中の亜硫酸ガス濃度の測定を開始した。右測定結果のうち、測定地点や測定期間を共通にする昭和四五年度から昭和四九年度までの亜硫酸ガスの平均値の状況は、年間平均値では0.02ppm前後であり、月別平均値では0.01ppm強から0.03ppm強の間を上下するものである。

右の数値は、平均値であるにしても必ずしも高くはないが、それは前記のとおり安中製錬所が通商産業省から鉱害防止施設改善の指示を受けて昭和四五、六年にわたり施行した排出施設改善工事後の測定値であり、右工事前の昭和四三年頃における亜硫酸ガスの施設排出濃度は、前記総合検査結果などから、右改善工事後の排出濃度の約五倍であると推定され、改善工事前は硫黄酸化物によるかなり高濃度の大気汚染があつた。

現に昭和四三年に被告が排気施設(煙突)の設置変更をしたことによつて幾分かの改善をみたのちの昭和四四年においてすら群馬県施行の前記亜硫酸ガス濃度測定で日平均値0.26ppmが測定された地点があり、右設置変更前の大気汚染はより高度で、平均値でなく個別の汚染最高濃度をとれば相当に高度なものとなる。

四  まとめ

前記一ないし三で認定した事実、前認定の安中製錬所の施設及び生産の推移等並びに周辺の地形、水形、風向などを総合すると、同製錬所の操業による土壌汚染及び大気汚染の一般的状況は以下のとおりであることが認められる。

操業の当初から第二次世界大戦終了後しばらく経過するまでは、生産量が少なかつたので排煙、排水中の重金属及び硫黄酸化物の量は少なく、汚染の範囲も広くはなく、程度も高くはなかつた。しかし、戦後昭和二四年頃から、生産量が増えるにつれて排出される汚染物質の量は次第に増え、昭和二六年の大増設を境として急に排出量も汚染濃度も増加し、汚染の範囲も拡大してきた。特に昭和三〇年代から四〇年代にかけて相次ぐ生産設備及び生産の増強に伴つて汚染物質の排出量と汚染濃度は増大の一途をたどり、昭和四〇年代前半には飛躍的に増大した。しかし、昭和四五年前後の前記違法増設の摘発や施設変更認可の取り消しあるいは昭和四六年の排出施設改善工事の完了等を機に汚染物質排出量及び汚染濃度は急減した。

五  重金属による植物被害の機序

1土壌中の重金属の溶出

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

土壌中の重金属による植物の被害は、重金属が根から吸収可能な状態にあること、即ち重金属が土壌溶液中に溶出していることによつて起り得るのであり、重金属が土壌中に存在しても溶出しない限りにおいては植物に対して有害に作用しない。重金属の溶出に影響を与える主な因子は土壌の性質、水素イオン濃度、有機物の存在及び酸化還元電位であり、右各因子の差異により植物被害の程度に違いを生ずる。

第一の土壌の性質とは、粘土量の多少であり、粘土を多く含む土壌は重金属が土壌溶液中に溶出しにくい。

第二の水素イオン濃度が高く土壌が酸性の場合は、重金属は土壌溶液中に溶出しやすい。

第三の有機物は、その元素が重金属と結合し、有機物が多いと土壌溶液中に重金属を溶出しにくくする。

第四の酸化還元電位は、土壌中の酸素の多少により左右され、水田の場合、湛水して土壌中に空気が入りにくい状態では還元が進み、重金属は硫化物になつて不活性化し、落水して空気が土壌内に入ると酸化状態になり、重金属は硫酸塩の形態となつて活性化し土壌溶液中に溶出しやすくなる。

水田では酸化還元電位の影響が大きい。

2重金属の吸収による障害

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

土壌溶液中に溶けた重金属は先ず根から植物体内に吸収される過程で根の生育阻害をひきおこす。即ち、一次根(主根)の先端の成長を抑制し、二次根(枝根)を発生させるので、根が短くしか土中に張れなくなる。その結果、土中の養水分の吸収は、その範囲が限られることとなつて抑制され、必然的に植物は地上部の光合成機能が低下する。

次に、吸収された重金属は、鉄分の吸収を抑制して葉緑素の形成を阻害し、光合成機能を低下させる。

このようにして植物の光合成機能が低下すると個体の総光合成量が低下し、その結果植物の成長度が減退すると共に形態が変化し子実生産が減少する。即ち、植物の背丈、根の乾物重、茎の乾物重、茎数、葉の乾物重、葉面積等が低下し、登熟が不十分になつたり時期が遅れたりして登熟歩合が減少し子実生産が低下する。同時に質も低下する。また、吸収された重金属は植物体内に蓄積される。

例えば、陸稲について重金属の吸収による光合成機能等生理作用への阻害から減収被害に至る機序を図示すれば、別紙陸稲減収機構図のとおりである。

但し、槙物の種類により、影響の受け方即ち重金属に対する抵抗性が異なり、農作物で抵抗力の最も弱いものとしては豆類、蕪、胡瓜など、次に弱いものとしては人参、ホウレン草、大根、大麦など、中程度のものとしては甘藷、葱、陸稲、小麦など、強いものとしてはトウモロコシ、イタリアンライゲラス(牧草の一種)がある。

3減収被害発現濃度

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

重金属は、元素として広く自然界に存在し、汚染に関係なく土壌に含まれ、銅、亜鉛の微量の存在は農作物の成長にとつて必須とされている。しかし、過剰の含有は前記のとおり農作物に対して有害作用を及ぼす。ところで、土壌中の重金属は、農作物にとつて、前記の諸条件によつて差はあるが、ある濃度までは収量に影響を及ぼさず、これを超えると減収被害を生ずることになる。一般的に減収被害を生ずる程度の濃度がいわゆる被害発現濃度といわれるものであり、この濃度を求める実験と調査は以前から行なわれていた。

環境庁は、過去に各地でなされた実験及び調査の結果から、水稲について、土壌中のカドミウム含量がおおむね二五ppm以上になると生育が阻害されると推定し、土壌中の亜鉛の被害発現濃度は、土壌の性質によつて異なり、その範囲は二五〇ppmから五〇〇ppm程度であると推定している。また、群馬県農業試験場は、昭和四九年度の水田調査の結果から、一〇パーセント減収を示す濃度を被害発現濃度として、その濃度域はおよそ四〇〇ppm程度であるとしている。更に、北陸農業試験場は、昭和四四年及び四五年の二年間、亜鉛の吸収と水稲の生育阻害について実験した結果から、土壌中の亜鉛の被害発現濃度は、添加濃度で一〇〇ppmから五〇〇ppmの範囲にあるとしている。

平田証人は、昭和四九年頃、それまで各種研究機関等が行なつた実験結果及び自己の実験結果から、水稲を用いたポット試験では、亜鉛による減収被害発現濃度は添加五〇ppmから三二〇ppmの範囲内にあり、畑作物の場合にはこれより低い濃度から減収となる傾向があり、カドミウムによる減収被害発現濃度は添加一〇ppmから一〇〇ppmの範囲内にあり、畑作物の場合にはこれらよりも一段低い濃度から減収となり、鉛については添加二五〇ppmが減収被害発現濃度であるとしている。

なお、農林省農業技術研究所などがした実験結果の幾つかは、土壌中に亜鉛とカドミウムが共存する場合には減収が促進されるとしている。

六  硫黄酸化物及び硫酸による植物被害の機序

1大気汚染による植物被害の一般的特徴

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

大気汚染による植物の被害は、それが現われる経過から急性障害と慢性障害に分類される。これらはいずれも可視障害であり、他に不可視の生理障害がある。

(一) 急性障害は、植物が高濃度の汚染物質に短時日接触したのち短時間で被害の徴候が発現するものである。被害症状としてはそれぞれの汚染物質に特有の斑状又は点状の壊死害徴(ネクロシス)が現われる。

(二) 慢性障害は、植物が比較的低濃度の汚染物質に長期間接触した場合等に被害の徴候が現われるものである。被害症状としては黄化現象(クロロシス)や紅葉現象又は萎縮等が現われる。

(三) 生理障害は、植物が低濃度の汚染物質に接触した場合に可視障害を生じなくても呼吸量の増大や光合成作用の低下等生理作用に障害が生ずるものである。

2大気中の亜硫酸ガス

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

大気汚染物質の代表的なものは、二酸化硫黄(亜硫酸ガス)、三酸化硫黄など硫黄酸化物及び硫酸ミストである。近年、亜硫酸ガスがあらゆる植物に悪影響を及ぼすことが多く報告されている。

放出された亜硫酸ガス(SO2)は、大気中の水と化合して亜硫酸ミスト(H2SO3)になり、あるいは日中紫外線の影響を受けそのエネルギーによつて大気中の酸素と化合して無水硫酸(SO3)になり、無水硫酸は大気中の水と化合して硫酸ミスト(H2SO4)になる。

亜硫酸ガスは、ガス体のままで大気中に存在している時間が比較的短く、約一二時間、長くて二日間と推定され、空気よりも重いので、ミストと同じく地上に降下する。また、これらの物質は酸性であるから地表に降下して土壌に混入すると土壌の酸性化を促進する。

3硫黄酸化物及び硫酸の吸収による障害

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

亜硫酸ガスは植物の葉の表面及び裏面の気孔から大部分吸収される。吸収された亜硫酸ガスは植物の体内で酸化されて硫酸等になる。亜硫酸ミストや硫酸ミストは植物の葉に付着し吸収される。

植物の体内で生成された硫酸や葉から吸収された硫酸ミストなどはある限界量以上になると葉緑素を破壊する。比較的低濃度では葉緑素含量を低下させる。葉緑素が破壊されると、植物によつて異なるが、葉の緑が褐色や黒褐色あるいは白色に変化し、葉緑素含量の低下によつて黄色などに変化したり萎縮したりし、光合成面積が縮少して生育が阻害される。

また、亜硫酸ガスは気孔を閉塞させるので植物の二酸化炭素の吸収とこれによる光合成作用を害し、更に、体内に吸収された亜硫酸ガスは植物の呼吸作用を昂進させて純同化率等を低下させ、生育が阻害される。

ところで、右障害のうち可視障害が現われる段階に至つたときは、植物の生育、収量の低下を来たすことは、学説上争いがないようである。不可視障害と植物の生育、収量の低下との結びつきについては定説がないようであるが、谷山証人は、水稲などを用いて実験を繰り返した結果、不可視障害でも生育、収量の低下につながるとの仮説を裏付ける実験結果が得られたとし、亜硫酸ガスに起因する可視、不可視の障害による水稲の減収機構を別紙水稲減収機構図のとおりまとめ、同図は他の植物にもあてはまるとしている。

4亜硫酸ガスによる植物被害の発現

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

亜硫酸ガスによる被害徴候の発現は、同じ濃度でも植物の種類により異なるところであり、被害発現についての一要因として、植物の抵抗性といわれるものがある。学者オガラは、種々の濃度の亜硫酸ガスを植物に接触させ、被害徴候が初めて現われる濃度を求め、最も敏感と考えられるアルファルファの被害初発濃度1.25ppmで除した値を植物の抵抗性指数として別紙「二酸化硫黄に対する植物の抵抗性」の表のとおり示したが、これは抵抗性の一般的基準として高く評価されている。

なお、同表には記載されていないが、谷山証人は、水稲は同表の大の部類に、桑は同表の中の部類に属するとしている。

一方、被害徴候が発現するについて環境的な要因として亜硫酸ガスの濃度と接触時間が重要である。米国連邦政府公衆衛生部大気汚染対策本部は、一九六七年、植物に対する亜硫酸ガスの影響の出現に関する資料として別紙「草木への二酸化硫黄の影響の出現」の図表を発表している。これによると0.5ppmで約八時間、0.2ppmで約四日間、0.1ppmで約一か月間、0.01ppmで約一年間をもつてほぼ被害発生限界としている。

谷山証人は、植物の光合成作用を阻害する亜硫酸ガス濃度を探究するため、水稲、裸麦、菜種を用いて実験をした結果、これらの三種類の作物では、ほぼ0.01ppmから0.05ppmの濃度で光合成作用の阻害が現われ始め、0.05ppmから0.1ppmでは明瞭に阻害される旨報告している。

七  養蚕被害の因果関係

1桑葉の重金属汚染と蚕

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

カドミウム、亜鉛等重金属を直接蚕に経口摂取させた実験結果が発表されており、これによると消化器官である中腸の組織が破壊されるなど細胞組織に障害を生じ、高濃度水溶液塗布桑を摂取した蚕は短時間で斃死したことが報告されている。

昭和四五年度に群馬県で実施した試験成績によれば、飼料中の重金属濃度としてカドミウム一〇ppm、亜鉛は二〇〇ppmに達すると蚕の飼育成績を不良にする例がみられ、カドミウムの繭質に及ぼす影響は一〇ppmで発現するとの報告があり、また、群馬県蚕業試験場年報に発表された研究では、カドミウム及び亜鉛をそれぞれ添加した人工飼料を蚕に給与した実験に基づき、蚕の成長又は繭に及ぼす悪影響に関する飼料の許容限界濃度を一応カドミウム五ppm、亜鉛一〇〇ppmと推定し、但し、右両者が共存する場合には、他の重金属との共存が相乗的に作用するのと反対に、拮抗作用を示す旨報告しており、また、昭和四六年度において、安中製錬所から距離四〇〇ないし二五〇〇メートルの範囲の地域の桑葉を分析した結果、蚕に直接被害を及ぼす程の濃度の重金属を含む桑葉はなかつたとの報告もある。

〈証拠〉を総合すれば、異種重金属の共存その他条件により一律ではないが限度を超えた濃度の重金属を吸収保持する桑葉を蚕に給与することにより、蚕の生育や営繭に有害な結果を生じ得るものであることが認められ、安中製錬所周辺の農地に栽培されていた桑の葉が被害を発現するに足りる過剰な重金属を含有するに至りこれを給与した結果蚕の重金属中毒を来たして被害が生じたことの因果関係の事実については、同製錬所から比較的近距離の栽培地ではこれを認めることができるけれども、遠距離の栽培地では証拠上これを認めることはできない。なお、桑葉中の重金属につき、遠距離地点における測定濃度がきわめて高い数値を示す調査結果があるが、この数値は他の調査結果との比較において極端な差異があり直ちに採用することはできない。

2硫黄酸化物及び硫酸による桑葉の有毒化と蚕

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

安中製錬所の排煙と接触した桑葉の給与による突発的な蚕の被害は、同製錬所の操業開始後かなり早い時期から表面化し、既に昭和一三年、被害発生に関連して群馬県蚕業試験場により桑葉の分析調査及び給桑実験が実施され、その結果、汚染葉に対照葉の約四倍にのぼる硫酸含量が検出され、給桑による蚕の発育不斉、不眠、体軟化や斃死が報告されており、その後も同様の突発被害が新聞紙上に報道されたり、被害農民らから養蚕被害を訴える群馬県知事宛の陳情が繰り返されたりし、昭和三二年にも同試験場により同製錬所周辺農地の桑葉の給与実験及び桑葉中の硫黄含量の分析調査が実施され、その結果、至近距離の桑葉では壊滅的な被害を生ずること及び距離が近い程被害は顕著で硫黄含量も多いことなどが報告されており、一般に硫黄酸化物及び硫酸で汚染された桑葉を摂食すると、蚕は、食欲の衰退、発育の不全を来し、細蚕、遅れ蚕、遅眠蚕などになり、その他各種病症状を呈したり形態や営繭の異常を生じたりし、被害の激しいものは直ちに斃死に至るが、その被害の程度は汚染濃度や摂食時期により差異がある。

八  被害地域の範囲

1被害程度について争いはあるが、安中公害により鉱対委エリア内に農作物被害が生じていたことは被告において認めるところである。

安中製錬所から排出された有害物質による汚染の地域範囲については、前記の地形及び土壌重金属分布等に関する事実のほか、排水に混じり農用水を媒介として農地に到達する物質に関し前記の水系等を、排煙による大気汚染を媒介として農地に到達する物質に関し前記の風向等をそれぞれ総合すれば、おおよその汚染地域範囲を推認することができる。

右認定に供した資料に前項までに認定してきた被害発生の過程に関する事実を加え、更に、前記大増設以降安中製錬所の操業規模と生産の相次ぐ増強に伴つて汚染物質が著しく増加してきたことに伴い被害地域範囲が次第に拡大されてきたことが推測されるのに鉱対委エリアは昭和三〇年頃に設定されて以来ほとんどその範囲は拡張されなかつたこと、その他次の(1)及び(2)の各認定事実を総合すれば、被害は被告が認める鉱対委エリア外にも生じていたものであり、農作物の種類によつて時期、内容及び程度を異にするが、被害は、地域を拡大して次第に遠くに及び、前記違法増設問題が表面化するまでの間は全般的に時期を追つて激しさを増し、被害程度はおおむね同製錬所の排出設備から方向別に近くなる程激しく、同製錬所至近の地域は特に著しい被害を被るに至つたことが認められる。

(1) 〈証拠〉によれば、安中製錬所の排水による被害として、碓氷川下流地域の高崎市内においても、金ケ崎用水路から取水している水田で既に昭和一三年度の水稲が平均反当り一俵減収する被害を生じたことがあつて昭和一四年に用水路内の魚斃死と共通の原因として同製錬所排水を取り上げて新聞報道されたこと、群馬県立農業試験場が昭和二七、八年に安中製錬所排水の作物並びに土壌の化学的性質に及ぼす影響を調査して作成した亜鉛鉱害地分布図には、鉱害地として高崎市の一部も入つていること、同製錬所排水により、昭和三一年六月頃に同市内碓氷川周辺の水田約二〇〇町歩で麦の生育が阻害され、根が腐る被害を生じ、昭和三二年四月頃にも同流域の高崎市鼻高、豊岡、乗付、石原、寺尾、根小屋などの各地区で大麦、小麦二五〇町歩が害を受け二三町歩が立枯れる被害が発生して、それぞれその頃新聞報道されたことが認められる。

(2) 〈証拠〉によれば、安中製錬所の排煙による被害に関し、昭和三七年五月に岩井地区の南、野殿地区の東に各隣接する大字大谷地区内で桑園約一三町歩が排煙による突発的被害を受ける事態が起つたこと、安中市の主導で設立された東邦亜鉛鉱煙害対策協議会が昭和三九年頃実施したアンケートによる実態調査の結果、被害地として回答された農地の中に鉱対委エリア外で原告ら主張の被害地域より更に西方の谷津、新町、下の尻の各地区が含まれ、同年八月開催された同協議会で、右の調査結果や大谷地区の前記突発的被害の事実のほか、被害地域の範囲が拡大されつつあることなどの報告がなされていること、昭和四四年六月四日野殿地区内で同製錬所から南方に距離約一五〇〇メートルの地点にまで達する範囲で樹木の葉が枯れる等の排煙被害が発見され、地元代表者として原告大塚忠、被告側の同製錬所渉外係長古川繁、安中市の公害担当職員萩原邦利の三名が共同で踏査して現認書を作成していること、以上の事実が認められる。

2被告は、減収被害の範囲が鉱対委エリア内にとどまるとする理由として、各鉱対委が昭和三〇年頃から今日に至るまで補償対象範囲を鉱対委エリア内に限定していたこと、被告が他の耕作者から聴き取り調査した結果では鉱対委エリア外の農地においては被害がなかつたこと、鉱対委エリア外には共同稚蚕桑園が広く所在していることなどを主張している。

そして、鉱対委エリアが拡張されなかつたことは前示のとおりであり、原告ら以外の鉱対委エリア外耕作者らの陳述書、聴取書の記載内容は、あるいは被害を否定し、あるいは農作物収量において原告ら主張と著しい差があるものであり、また昭和三〇年代後半から原告ら主張の畑B、C地域内の各所に共同稚蚕桑園が設けられるようになつたことは後記のとおりである。

しかし、鉱対委エリア不拡張の点は、操業規模と生産の飛躍的増大との関係でむしろ被害地域範囲の拡大を裏付ける一資料となるものであることは前示のとおりであり、原告ら以外の耕作者の陳述書等の内容の点は、それ自体でも、また品種の改良や資材、技術の向上による収量増加の一般的傾向に照らしても、必ずしも被害を否定する資料とはいえないものであり、これまで認定してきた諸事実と総合すると、顕著な突発的被害は濃厚な亜硫酸ガスの来襲による短時間の局地的汚染の結果であり、排出施設から或る程度離れた地域では、有害物質による汚染が徐々に進行して被害は慢性的となるほか各期の収穫が気象その他の条件に左右されることなどのため、被害に気付きにくく、突発的被害を受けた耕作者以外の農民にとつては容易に被害を認識し難い経過をたどつてきたものと認められるから、前記の各点は鉱対委エリア外の被害を否定する根拠になるものではない。

また、共同稚蚕桑園の点については、鉱対委エリアの内外にまたがるB地域内に設けられた共同稚蚕桑園の中には鉱対委エリア内に位置し鉱対委を介しての補償対象地となつたものもあるから、全面的に被害発生を否定する根拠になるものではない。

なお、被告は、被害を争う証拠として、多数の農地作付状況写真を提出しているが、これらは、いずれも昭和四七年以降の撮影にかかるもので、前記の違法増設問題表面化による有害物質排出量の大幅な減少と排出施設改善工事後の被害回復が始まつてからのちの状況を示すものであるから、これより前の時期における被害の有無を推測させるものではない。

第三  責任

故意又は過失により他人の正当な利益を侵害して損害を被らせたときは、当該侵害行為は違法であり、行為者は損害賠償義務を負担するものである。

昭和一二年六月安中製錬所操業開始後間もなく周辺地域に突発的被害が発生し、その後も被害発生が新聞紙上に報道されたこと、被告に対する抗議や補償等要求交渉の経緯、鉱対委や農民大会など住民運動の組織化、同製錬所の操業規模及び生産の拡大、ことに戦後昭和二三年の対州鉱山産出亜鉛鉱石を原料とする生産の開始、前記大増設による昭和二六年八月以降加わつた焙焼工場及び硫酸製造工場の操業並びに生産の飛躍的増強を含む累次の操業設備と生産の拡大状況、並びに長期にわたる農業被害の実情は、前示のとおりである。

〈証拠〉を総合すると、昭和一二年安中製錬所の設置にあたり、被告は、この工場では「日本高度鋼株式会社」という名称の国策会社が軍需用の鋼板を製造すると触れ込み、安中町長ら有力者の呼びかけを得て事前に地元の協力を取り付け、地主らから敷地を提供させたうえ、「日本高度鋼」の看板を掲げて工場の建設工事を開始し、工事が完成するや、直ちに被告の名(当時の商号日本亜鉛製錬株式会社)を表わし、同年六月操業を開始するに至つたこと、昭和一三年には既に群馬県蚕業試験場による桑樹の排煙被害調査が実施、報告され、戦後被告が増産態勢に入ろうとした昭和二五、六年には同県立農業試験場による昭和二五年産米の鉱毒被害調査、農林省出先機関による昭和二六年産麦類の坪刈収量調査がそれぞれ実施されたこと、昭和二四年以降前記操業設備増強の計画に反対して被害農民から占領軍司令部、国会、官公庁、政党、政治家などに対する陳情が繰り返されたこと、昭和二五、六年にかけて地元農業委員会からも被告に対し文書で公害に関する警告や被害補償及び防除の要求がなされたことが認められる。

以上の事実を総合すると、被告は、操業開始の当初から排煙、排水により被害が生ずることを知り、ことに昭和二六年の前記大増設以降は、排煙、排水中に含まれる重金属及び硫黄酸化物等により安中製錬所周辺の農民に対し受忍限度をはるかに超える深刻な被害を与えることを知りながら、あえて操業に伴う排煙、排水を継続してきたものであると認めることができる。

従つて、被告は安中公害による被害農民に対する損害賠償につき故意責任を負担するものというべきである。

第四  損害

一  被侵害利益

原告らが本訴により賠償を求める損害は、被告が安中製錬所の操業にあたり継続的に有害物質を排出して原告ら主張の各耕作農地に到達させた結果、原告ら(又はその被承継人、以下省略することがある。)が被つたと主張する農地の耕作に関する損害である。

原告らは、被告の右加害を不法行為であるとして損害賠償を求めるものであり、不法行為が成立するためには、侵害された利益が法的保護に値する正当の利益でなければならない。そして、原告らが被害を受けたと主張する別紙原告ら主張個別耕作農地表記載の各耕作農地は、原告らが自身で所有するものに限らず、親族所有地を無償で耕作するものあるいは他人所有地を賃借して耕作するものなどが多数含まれ、原告らは、これらを区別することなく、農地の耕作に関する損害の賠償を求めるものであるから、原告らは、本訴損害賠償請求にかかる被侵害利益として、所有権、賃借権、使用貸借による権利その他種類を問わず正当の用益権原に基づいて農地を耕作することによる利益を主張するものにほかならない。

もつとも、損害に関する原告らの主張においては、安中公害によつて農業経営及び生活が破壊されたという社会的事実を総体として損害ととらえると表現する部分があり、いかにも耕作農地を捨象した農業経営ないし農業生活という抽象的な利益を別に設定して、その侵害を主張するもののように受け取れないでもない。

しかし、公害による農地汚染を原因とする損害賠償請求において、被害耕作地を切り離して被侵害利益を設定することは相当でなく、原告らもまた、特定の被害耕作地として多数の土地を個別に主張しているところであるのみならず、原告ら個別の関係事実の主張においては、大部分の者について農業経営の継続を主張し、中には農地の買得により耕作地の増加を主張する者もあるほか、農業を廃止したと主張する者についても廃業による損害の内容及びその安中公害との因果関係につき主張を尽くさず、更に、原告らの中には狭少面積の家庭菜園だけの耕作者など主張自体からも農業者であるとはいえない者が含まれているものであるから、「農業経営及び生活の破壊」という大げさな表現にもかかわらず、原告らの請求は、結局原告らが各自耕作してきた農地に関する耕作利益の侵害による損害の賠償を求めているものというべきである。

二  損害の評価

1農地の耕作利益の侵害による損害については、財産権に属する土地の用益上の権利に対する侵害により生ずるものとして、その性質上、財産上の損害が中心となり、相当因果関係の範囲内にある限り、先ず財産上の損害が賠償されるべきであり、更に、なお償い得ないまま残る他の損害(財産外の損害)が慰藉料による賠償の対象とされるべきものである。

一般に損害賠償請求における損害額は、現実に被つた損害の数額をできる限り実体に応じて具体的に把握し算定すべきものであり、右耕作利益侵害による財産上の損害は、その物的損害としての性質上、侵害がなければ得べかりし収益を基礎として算定することが可能であり、侵害がなければ無用のはずであつた費用や労働の増加その他財産上の積極損害もまた性質上算定可能である。財産外の損害についても、これがもともと財産上の利益に対する侵害に伴つて生じたものである以上、財産上の損害額との関連において被害の内容を考慮して数額を算定するのが相当である。

従つて、本訴請求については、財産上の損害の数額を可能なかぎり実体に応じて算定し、次いで、その支払をもつてしても償い得ない財産外の損害について、計数的な算定ができない財産上の損害部分があるならば、そのことも加えて検討し、妥当な慰藉料の数額を定めることにより、いずれも原告らが現実に被つた損害額を確定すべきものである。

2原告らは、損害額の算定につき、財産的損害と精神的損害とに分別する二分法では安中公害による損害を把握できないとし、また農作物の減収被害個々の損害を別々に取り出して評価できるものではないとする主張のもとに、損害を包括的に評価して賠償を請求するとして、これを包括請求と称するのである。そして原告らは、財産上の損害を個別に評価できないと主張しながらも、(1)米、麦、繭などの得べかりし農作物減収総量、(2)減収被害防止のために加重した出費と労働及び(3)精神的苦痛の三つを掲げて斟酌要素と名付け、これを斟酌して損害額を算定すべきであると主張したうえ、右(1)について、定型化アプローチと称して、昭和二七年から昭和四六年までの二〇年間の減収被害による損害額を推算し、その内容と結果を主張しているほか、昭和二六年以前及び昭和四七年以降の減収被害につき、数字は示さないが、一定の比率で加算する必要ありとし、(2)について、耕作上の費用及び労働の増加による被害額を減収被害額の五〇パーセント以上とし、(3)について、(1)及び(2)の被害による精神的苦痛を原告一人あたり五〇〇万円以上とし、以上の要素を斟酌して損害を評価すべきものと主張するのである。

しかしながら、財産外の損害は、用語の当否はともかく一般に「精神的損害」と呼ばれていることから、「精神的苦痛」という心理的被害と同義であると誤解されることがあるけれども、もともと財産上の損害以外の「精神的苦痛」を含む残損害の全部を指すものであるから、財産上及び財産外の損害は全損害を覆うものであることは当然である。

人の生命、身体に対する侵害による損害賠償について、いわゆる包括請求の可否が論じられているが、その被侵害利益は将来にわたつて全く代替性のない生命、身体であり、財産上の損害額の算定については多少とも擬制的性格を伴わざるを得ず、財産外の損害についても一般人にとつて経験的に実感可能でありながら元来絶対的金額評価があり得ない性質のものであるから、これと性質を異にする本件では同列に論ずることはできない。

また、原告らが主張する斟酌要素なるものは、単に財産上の損害とこれに伴う財産外の損害とを一応の種類別に区分したにすぎないものであり、そのうち財産上の損害の額は計数的に証明されなければならないことに変りはないから、請求の性質の点では一般の不法行為による損害賠償請求と異なるところはないものである。そして、原告らの前記の主張自体においても、減収損害及び他の財産的損害を金額的に算定したうえ、「精神的苦痛」の評価と称して実質的には慰藉料の数額を主張していることにより、既に原告らのいう包括評価はその実質を失つているものである。所論の「要素を斟酌して評価する」ことの具体的な意味は必ずしも明らかではないが、加算する趣旨であるとすれば、訴訟実務に伝統的ないわゆる個別損害積上げ方式と異なるところはないし、原告らがいう包括請求なるものの意味も明らかではないが、仮にそれが、存在することが証明されない損害の賠償を求めるものならば論外であり、無原則にあるいは抽象的であいまいな基準により恣意的な数額を定めて損害額を実際以上に水増しし又は損害の立証を回避しようとするものであるならば、その不当はいうまでもない。

原告らが包括請求と称する理由の実質は、要するに証明資料の保全不十分による立証の困難及び集団的提訴の結果主張立証に多くの手数と時間を要求されるということに帰し、前者はあらゆる訴訟に共通の事柄であり、後者は原告ごとに係属する多数の訴訟を併合提起して多くの争点を生ずることにより或る程度不可避的に伴なう事情であつて、いずれも原告の主張を正当とする理論的根拠となるものではない。

また、原告らの請求が、被告のいうような慰藉料請求の実質を有するものに尽きるものでないことは、前示したところにより明らかである。

3原告らは、個別の損害額について、精神的苦痛による損害を原告一人あたり五〇〇万円を下らないとするほかは、他の損害金額の内訳及びその計算過程を主張しないものであるが、農作物減収被害等による財産上の損害額の計算方法及び根拠を、数値を示して、全員共通に主張しており、これを適用して各人につきそれぞれの各耕作地の種類、期間及び被害等級別面積を整理しこれに応じて金額を算出する作業の過程及び結果を示していないだけで、右の煩雑な作業をする労を惜しんだことを強いて包括請求の名称を付して取り繕つているにすぎないから、格別目新しい請求方法を採つているわけではなく、結局、従来からの訴訟実務に伝統的な方法による請求をしているものということになる。また、右のように損害額の主要な部分につき、金額計算の根拠及び方法を主張し、更に、これを適用すべき事実関係を主張しただけで、具体的な損害額の計算及びその結果である損害額の内訳を示すことをしないのは、訴訟態度として公正とはいえないが、原告ら主張の個別の耕作地に関する右の事実関係について被告の防禦に格別の困難を生じさせているわけでもなく、現に被告において多くの防禦方法を提出している本件においては、請求を不適法とする程の瑕疵はないものというべきである。

三  損害額の算定

1損害賠償請求において損害額の確定に用いることのできる資料は、それが財産上の損害に関するものであつても、表示する数値から直接損害額を算定できる文書類に限られるものではなく、その他の書証、人証等弁論に表れた全証拠のほか公刊された各種統計数値のような公知に属する事柄などを総合して損害額を認定することができるのは、一般の事実認定と異なるところはない。

損害賠償請求権の数額は、本来は各被害者ごとに各個別の事情に従い具体的に算定されるべきものであるが、本件訴訟においては、原告ら個別の被害状況に関する直接的証拠資料は、ほとんど原告ら各人別の陳述書(〈証拠〉、家族の陳述書が含まれ、また、死亡者については訴訟代理人弁護士の聴取報告書をもつて代えられているものがある。)に尽き、その内容は長年月にわたる経過についての正確を期し難い記憶に基づく記述であり、その間における耕作状況、耕作権原関係、被害状況等の多様な変遷を経ていることもあつて不確実を免れず、伝聞や記述の不明確、不十分あるいは誇張、記述間相互又は他の証拠関係との矛盾もあり、これをもつて直ちにそのまま採用して個々の土地に関する被害内容の証拠とすることはできず、他に直接的に各個の農地ごとの具体的な被害内容を特定して認めるに足りる証拠はない。

しかし、原告らは、安中製錬所排出施設からの方向別距離に応じて被害が次第に低減する傾向があることに着目し、主張の各被害農地を被害程度によりその高低の順序に従つてA、B、Cの三地域(田のB地域については、更にその一とその二)に区分し、それぞれの被害程度を共通に主張するものである。この方法は、右各区分地域内の最も被害程度の低い農地(当該地域内でおおむね製錬所から最も遠い外縁部の土地)について生じた損害をもつて当該地域内の全耕作地に共通する損害とし、これを超える損害がある農地については請求を限定する意味があり、訴訟の大量処理を計る場合の一方法として合理性を認めることができる。

もつとも、原告らは、本件訴訟の最終段階に近くなつて、主張の各耕作地について個別に被害状況を主張するに至つたが、それは、前記陳述書等の内容をそのまま引き写したにすぎず、全部の土地について網羅するものではないばかりでなく、主張自体整理された完結的なものでもないから、右主張をもつて前記A、B、Cの地域区分による損害算定方法を変更したものではなく、その結果を裏付ける事情として主張するにすぎないものと解される。

右のようにA、B、Cの等級別に各被害地域に共通する最も低い被害を基準とする損害額が前記陳述書等を含む関係諸資料を総合して認定できるならば、これにより当該地域内における各耕作農地に関する財産上の損害額を確定することができることになる。そこで、前記のとおり、損害額を直接的に認定できる証拠がなく、また、原告ら自身で被害地域別に請求を限定している意味もある本件においては、この方法により検討することとする。

なお、原告らの主張は、損害内容のみならず、係争土地の特定、耕作権限、耕作期間等を含めて総じて杜撰であることは、弁論の過程で被告が主張しているところであり、訴訟の相手方に無用の労力を費やさせ、徒らに訴訟の進行を遅滞させたと見受けられる面もあるけれども、それにもかかわらず被告において係争各土地について個別に多くの反論、反証を提出している本件においては、訴訟の適法性を左右する程の瑕疵があるということはできない。

2本件におけるような農地の耕作利益の侵害による財産上の損害は、農作物被害発現の都度発生し、被害の性質上原則として各農作物の収穫時期において損害額が確定するものである。しかし、特定の土地を個別に取り出して検討するならば、同じ被害地域にある場合でも、地形等立地条件、作物の種類、肥培管理その他の個別事情の相違により、個々の耕作地ごとにその時々の収穫期における被害の内容に差異を生ずることは明らかであるうえ、前記のとおり各陳述書等の内容がこれをもつて直ちに被害内容をそのまま認定するに足りないものである以上、個々の収穫期ごとに損害額を算定することは相当でなく、証拠上はむしろ不可能というべきである。従つて、何年かの継続期間を設定し当該期間を通じての平均的な損害額として算定するのが相当であり、また、これによつて年により異なる作柄や気象災害など損害額算定上の特殊要因を平均化して評価することにもなる。

前認定の安中製錬所の昭和二六年度における大増設及びこれによる昭和二七年度以降における生産の著しい増大よりも前の時期における被害状況については、時として生じる局地的な突発的被害(その被害地、時期、態様などは主張及び証拠のうえで明確でなく、損害額も確定できない。)は別として、特定地域に共通する被害は証拠上認め難く、損害額を確定することもできない。そして、農作物については一般に、毎年秋の作付けから翌年春の収穫に至る冬作物の栽培期とその収穫終了後の作付けから同年秋の収穫に至る夏作物の栽培期とにおおむね二分することができる。そこで、毎年の夏作期とこれに次ぐ冬作期を合わせた一年間をもつて単位被害年度とし、昭和二七年夏作期以降において損害額算定の被害期間を設定することとする。

そして、〈証拠〉を総合すれば、昭和二七年以後何回かにわたる生産設備の増強等による生産量の逐次増大を経て、昭和四五年に前記違法増設が監督官庁により摘発され、廃棄物排出施設の改善を命令されて改善工事を実施し、また右違法増設問題が被告会社及び関係者に対する刑事事件にも発展して、被告において操業と有害物質排出につき自粛せざるを得なくなつた結果被害が減少に向つたこと、一部農地についてはその頃施行されていた農業構造改善事業による圃場整備等により該当農地につき農作物収穫量が向上するに至つたこと、一部農地について、昭和四五年度を最初として前記の汚染田畑指定がなされて被告から同年度以降の汚染田作付補償をはじめとし逐次補償金の支払がなされ、次いで前記対策地域指定と土壌改良工事の施行が開始され、右改良工事後は、おおむね当該農地の収穫量が回復するに至つたこと(右汚染田畑指定関係の損害は本訴請求から除外されている。)、昭和四六年からは政府の稲作抑制政策に対応して減反休耕をするに至った農地もあること、以上の事実が認められる。従つて、昭和四五年夏作期以降については、昭和四七年四月一日本訴提起後の期間も含めて、平均的な損害額を算定することも困難であり、結局、損害額算定の被害期間としては、昭和二七年度から昭和四四年度まで(昭和二七年夏作期から昭和四五年夏作期の前まで)の期間を設定すべきである。

そして、その間における前認定の生産設備増強等による生産量の増大に対応する被害程度の急激な高度化を考慮し、原告らが主張の定型化アプローチにおいて採るのと同様に、右総被害期間を四分して次の第一ないし第四期とし、この各期の損害算定期間ごとに水田、普通畑、桑畑に分けてそれぞれA、B、C等級別に地域区分をし、右各地域内共通の被害内容を検討して各損害額を確定するのが相当である。

1 第一期  昭和二七年度から

昭和三〇年度まで

2 第二期  昭和三一年度から

昭和三五年度まで

3  第三期  昭和三六年度から

昭和四〇年度まで

4  第四期  昭和四一年度から

昭和四四年度まで

(注) 年度は単位被害年度

また、右の平均的損害額を算定するための単位面積としては、或る程度の広さが必要であり、その最少限度を考察すれば、主な認定資料である統計類、陳述書等が共通して用いている一反(約991.736平方メートル)を採用して計算するのが相当である。

3各被害期間における農地種類別、被害等級別各地域内の原告ら耕作地に共通する平均的損害額を算定するについては、前記原告ら陳述書等及び原告ら各本人尋問結果に現われた各種農作物の収穫状況につき、その中から他の証拠関係との対比により措信できないもの及び特に著しく良好又は不良で異常値と考えられるものを除外して、経年的に収穫状況を集約したうえ、そこから平均的傾向を把握し、これと、右陳述書等のほか〈証拠〉その他公刊された各種統計類及び原告以外の耕作者陳述書、聴取書等を総合検討して判断される本件公害がなければ得られたであろう通常の収穫とを比較対照することにより損害額を認定するのが相当である。

この方法による認定損害額は、各被害地域についてそれぞれ最少被害地が基準となるため、右の最少被害地以外の土地(例えば、A地域では安中製錬所排出施設に至近の激甚被害地)については認定損害額を超える損害が残ることになるが、これについては、他に、個々の耕作地にかかる個別の損害を証明するに足りる証拠がなく、耕作地を集約的に考察する方法を採らなければ損害額を認定することが不可能な本件においては、認定額を超える損害額については証明がないものというほかはなく、また、このことは、原告ら自身が被害等級としてA、B、Cの地域区分を設定することにより請求を限定している以上、当然の帰結でもある。

4右各関係証拠に既に認定した諸事実及び本件口頭弁論の全趣旨を総合して原告ら耕作地の一般的な耕作及び被害の状況を検討すると、次の各事実を認めることができる。

(一) 水田と普通畑

(水田)

水田の作物は、表作(夏作)の水稲のほか裏作(冬作)の麦類その他がある。裏作については、個々の田により、また年度により作物を異にし、麦類はおおむね大麦と小麦に分かれ、麦以外の作物を加えれば多種多様となり、裏作をしないこともあるが、小麦の栽培が比較的多く、これら裏作はほとんど昭和四〇年頃には中止されており、この裏作中止は本件公害に必ずしも関係がなく農業経済の動向等に起因する現代農業の一般的傾向に従つたものと考えられる。

被害等級C地域の水田には、通常の灌漑による田でない天水田や谷地田(湿田)があり、これは普通田に比してもともと収穫が低く、裏作に適さず通常裏作をしていない。

米麦の被害の内容は、収穫量の減少と品質(産米麦等級)の低下とがあるが、後者は、生産者の供出前の選別程度を含めて個別的事情によつて左右される。

(普通畑)

普通畑の作物は、夏作については、陸稲、甘藷、豆類や各種野菜類その他があり、その種類は多様にわたり、冬作については、主として作付け収穫されているのは麦類で、そのほとんどが小麦である。

夏作の陸稲は、もともと水稲のような収穫がなく連作により減収を来たすこともあつて、作付け面積が少なく、比較的早くから他の作物に転換される傾向があり、いも類、雑穀や野菜類は作付けが多様で一般的でなく収益が市況によりきわめて大きく左右される。

米麦の被害内容については、水田と同じである。

(二) 桑畑

桑畑の生産物は、いうまでもなく桑葉であり、養蚕農家は、毎年春から秋にかけての蚕期に、自家生産桑を主とし不足分を買桑等により調達して桑葉を蚕に給与するものであり、給桑を含む飼育管理には各種の方式があるが、いずれにしても蚕の急速な成長に合わせて短い養蚕期間内に一定量の桑葉を用意することが要求されるので、蚕の掃立量は自家生産の桑葉に制約される面がある。

被害内容としては桑葉の収量減少もあつたことが窺われるが、桑葉の収量は、養蚕者個別の養蚕計画に関連して一様でない桑樹仕立方法や収穫方法によつて異なり、樹種、樹齢、肥培管理等による差異を加えれば、被害を受けなかつたと仮定した場合の桑葉の収量自体も、被害による減少数量も、これを把握することができない。

むしろ、桑畑における主たる被害は、有害物質汚染による桑葉の有毒化であり、桑樹自体は普通畑の農作物に比較すれば有害物質に対する耐性が格段に高いが、前示のとおり硫黄酸化物等を含む排気と接触した桑葉を蚕に給与すると、その蚕は成長を阻害され甚だしい場合は斃死し、あるいは結繭の異常を来たし、軽い場合でも産繭の品質に悪影響を及ぼす結果を生じる。桑葉の重金属付着、吸収によつても、その程度により悪影響を受けることがある。

右の硫黄酸化物との接触による有毒化被害については、昭和一二年操業開始後早い時期から局地的な突発被害を生じたことがあつて、次第に、安中製錬所の排煙襲来を受けた桑葉による養蚕被害が養蚕農家に経験的に認識されるようになり、前記の昭和二六年の前記大増設後における生産増大の時期以降は、同製錬所周辺養蚕農家は、恒常的に右有毒化の危険に脅やかされるようになり、製錬所に近い地域(A地域)では、遂に桑畑利用がほとんど不可能となるまでに至つて、代替の桑を他所から調達するほかはなくなり、その外側の地域(B地域)でも、工場排気ガスの脅威から、養蚕期には常に風向きによる排煙の流れに注意し、ガスとの接触の疑いある桑葉の採取を避け、あるいは採桑給桑の時期を調整し、C地域等他の場所の桑との混合給与をするなどの工夫をし、時には代替桑を調達することが必要になつた。

被告においても、各地に作られた鉱対委を介して養蚕農家から補償要求を受けるに及び、A地域とB地域の一部を含む対象区域(鉱対委エリア)内の被害桑畑につき、代替桑を供給し又はその購入代金を支給することがあつた。代替桑の供給は、被告が調達した桑園に受給農家側が出向いて桑葉を採取し持ち帰る方法がとられた。

昭和三〇年代後半頃から、養蚕効率化のためすすめられていた稚蚕共同飼育が盛んになり、B、C地域内に共同稚蚕桑園が設けられ、共同飼育養蚕者については、被害対策の面では有利となつた。

養蚕収益の基礎となる掃立量は、桑葉の準備可能量だけでなく、もともと蚕期に投入できる労働力による制約が大きく、養蚕は家族労働によつて支えられるため、各蚕期における養蚕者個別の家庭事情に左右される。

養蚕収益を得るに要する投下資本のうち、桑葉自体の価額はきわめて少部分を占めるにすぎない。

原告らのうち養蚕をしていた者の多くは、前記A、B、C区分のいずれか一つの地域のみに限つて桑畑を保有するものではなく、二、三の区分地域あるいはA、B、C以外の場所の産出桑葉を適宜給桑していたため、被害発生原因となつた桑畑を特定することは困難である。

5以上の諸事実、諸資料を総合し前示の損害算定方法に従つて検討すると、田及び普通畑については、それぞれC地域の第一期を除き、算定可能な財産上の損害が認められ、その各被害等級地域ごとの各期における各耕作地に共通の反当り平均的損害額を算定する具体的な作業にあたつては、農作物の収量減少、品質低下による損害のほか経費や労働力の増加等による財産上の損害を含め、後記のように計算から除外される端数被害期間及び端数耕地面積が出ることをも考慮した適切な金額を算出するため、次の(一)ないし(六)の計算方法を採るのを相当と認める。

これによる被害種類別期別の計算上の減収量(俵数)及び反当り損害額は、別紙反当損害算定表記載のとおりである。

なお、原告ら主張の重金属汚染による有毒化の点については、原告らが請求から除外している汚染田指定による保有米凍結等の関係を除き、具体的な財産上の損害の発生を認めるに足りる証拠はない。前記甲号証の陳述書等の中には、有毒化のため野菜等の栽培を中止せざるを得なかつたという記述のあるものがあるが、前に示した理由のほか、作物の種類、数量等が具体的でないことや因果関係の点で疑問があることもあり、そのまま直ちに採用することはできない。

また、田のB地域について、原告らは、その一及びその二の両者に区分するが、各耕作地に共通する各期別の平均的損害としては証拠上右両者間に有意の差等は認められないので、共通に田B地域として算定するのが相当であり、田及び普通畑のC地域については、第一期に関しては、未だ損害の発生を認めるに足りる証拠はない。

(一) 田については、表作期の損害を水稲を基準として算定するのは当然であるが、裏作期の損害は、最も多く作付けがなされ作柄も比較的安定性があり生産者価格も統制されていて平均的な損害額の算定に最も適当な資料を得られる小麦を基準とし、普通畑については、前認定の事情により、夏作の陸稲その他が平均的損害の算定の基準作物とするには適当でないため、冬作期において一般に作付け収穫がなされてきた小麦を基準とする。

(二) 損害算定の基準作物である水稲米及び小麦にかかる収穫量減少被害と品質(産米麦等級)低下被害のうち、後者は、前記のとおり個別的事情によつて左右されるので別個独立に損害算定をすることは不可能であるほか、上級米麦の収量減少の性質を兼有するから、前者と後者を一括して収穫量減少の数量及び金額の形で損害を算定する。

また、肥料代、薬剤代等耕作経費及び投入労働力の増加(これらは、個別の耕作者や耕作地によつて有無、程度が異なり、一般性、共通性は証拠上認められない。)による財産上の損害については、右の増加が個別の収穫に現実に反映しているはずであるから、結局は個別の肥培管理の良否の問題として、右の減収損害の形での算定損害額に含まれて評価されることになる。

(三) 田の裏作及び普通畑の夏作については、前認定の事情にあつて一定していたわけではなく、作付けがされない場合をも考慮して、田については毎年小麦の裏作をするものと想定した場合の損害の五割とし、普通畑については夏作期の損害を冬作期の五割として算定する。

(四) 前記のとおり損害算定期間が第一期から第四期までに固定区分される関係で、耕地によつては、耕作継続期間が一期間以上にわたるにもかかわらず二期にまたがり各期の中途で耕作が開始され終了するため、いずれの期にも属さず損害算定から除外される不都合が考えられる。これを解決するため、いずれの種別の耕地についても期が進むに従つて損害が増加することから、当該耕作がまたがる二期のうち損害がより少ない耕作開始の期に準ずるものとして損害算定期間を割り当てるのが相当であり、三期以上にまたがり同じ不都合を生じる場合も同様の操作をすることとする。この操作をしてもなお生じる端数期間並びにはじめから一つの期に満たない短期耕作期間は、計算から除外するほかはない。

前記のとおり損害算定の単位面積が一反とされる関係で生じる一反未満の端数耕作地面積については、各原告ごとに、原則として、各期別に(慰藉料額を含む)反当総損害額のより少ない被害種別の耕作面積に順次繰り入れて面積計算をするのが相当であり、この操作をしてもなお生じる端数面積は計算から除外するほかはない。

(五) 損害額算定の基礎となる金額は、前記の端数期間及び面積の計算除外があることも考慮して、各損害算定期間の最終年度における政府買入価格をもつて計算基準とする。右の一俵(六〇キログラム)当り金額は次表のとおりである。

年度

玄米

玄麦

昭和三〇年度(第一期分)

三九〇二円

二〇五八円

昭和三五年度(第二期分)

三九〇二円

二二五四円

昭和四〇年度(第三期分)

六二二八円

二七一三円

昭和四四年度(第四期分)

八〇九〇円

三二六七円

(注)

1 包装費等を除いた基本価格(裸の生産者価格)による。

2 水稲は、うるち玄米三等。

3 小麦は、玄麦二類三等(但し、昭和四四年度は検査基準改定により二等)。

(六) 前認定の耕作事情により、田のA、B、C各地域とも第四期については裏作をしないものとし、また田C地域のうち天水田及び湿田については各期とも裏作を除外して損害額を算定するのが相当である(別紙反当損害算定表においては、この天水田及び湿田を「C特」と表示する。)

6桑畑についての被害事情は前示のとおりであり、桑葉の収量減少の数量により財産上の損害額を算定することは相当でないし、また不可能でもあり、桑葉の有毒化による被害については、A、B地域の桑畑に関し、養蚕農家は被害防止のため前記のような努力をしてきたのであるが、それにもかかわらず、時として蚕や繭に被害を生じ、あるいは掃立量を制約されて、繭生産による収益上の損害を受けた者があることは推認するに難くないけれども、その被害が何時の蚕期において何処の桑畑で採取した桑葉によつて発生したものであるかなど具体的内容は明らかでなく、個々の被害発生及びその内容を証拠により認定することはできない。また、共通の平均的損害としての財産上の損害も、前認定の桑葉汚染の発生事情及び被害回避のための努力がなされてきたことなどにより、損害額算定の基準となる諸数値を特定することができず、算定は証拠上不可能というべきである。

そして、桑畑C地域については、これまで認定してきた事情にあり、たまたま突発的被害を生じた耕作地が全くないとはいえないが、その耕作地の特定もできず被害の時期、内容も不明であり、C地域内に共通の損害としては証拠上その発生を認めることはできない。

しかし、A地域はもとよりB地域の桑畑についても、いずれも金額算定ができないものの、被害予防のための養蚕者の努力等の中には財産上の損害に属するものがあり、また特にA地域では桑畑利用を制限されたことによる財産上の損害があつたものと認められるが、これらは、後記の財産外の損害に対する慰藉料額について、性質上許される限度で算定にあたり斟酌するほかはない。

7(慰藉料)

安中公害による農地耕作に関する被害の経過と内容は既に説示したとおりであり、その性質、内容にかんがみ、財産上の損害の発生が認められながらこれにつき数額を算定することができないA地域及びB地域の桑畑のみならず、財産上の損害につき前記のとおり数額が算定されその賠償請求権発生が認められるべき各被害等級地域の田及び普通畑についても別に、それぞれ財産外の損害の発生が認められ、慰藉料をもつて賠償されるべきものということができる。

その慰藉料額は、被害者各人の被害に対応するものでなければならないのは当然のことであり、その算定については、耕作利益の侵害による損害として、元来財産上の損害をもつて主体とするものである以上、おのずから慰藉料金額は財産上の損害額に関連することになるが、財産上の損害額が明らかでないA、B地域の桑畑については、差異を考慮しつつ普通畑を参考として算定するのが相当である。

そして、長期間にわたり、しかも安中製錬所の歴史とともに変遷してきた被害農民らの抗議行動、被害防止並びに補償の要求運動を伴いながら増大を続けてきた被害の経過、内容のほか、財産上の損害額、被害のため生じた労働過重や財産上の損害のうち金額算定不能の部分があること、その他諸般の事情を総合的に考慮して被害種類別、各期別の反当慰藉料額を別紙慰藉料算定表のとおり定め、これを個別の被害原告に適用して慰藉料額を確定するのを相当と認める。

8原告らは、賠償されるべき損害として、農村の共同体、一体感の破壊、家庭内の不和、後継者難、その他当裁判所が認定した以外の損害を主張するが、これについては安中公害による被害との相当因果関係のもとにある損害として認めるに足りる証拠はない。

また、損害賠償請求は、被つた損害の数額に応じて取得する賠償請求権の限度で許されるものであり、制裁的賠償の名のもとに右限度を超える請求をすることが許されないのはいうまでもない。

第五  原告ら個別の損害

一  耕作地及び被害

〈証拠〉を総合すると、前記のとおり損害賠償請求権発生の原因となる前示昭和二七年夏作期以降昭和四五年春までの被害期間の限度で判断すれば、原告らが被害耕作地であると主張する別紙原告ら主張個別耕作農地表記載の各土地に係わる当該原告又は被承継人の権原に基づく耕作の有無、被害等については、以下のとおり認めることができる。

右各土地のうち前記被害期間内における権原に基づく耕作の事実が認められる田、普通畑及び桑畑のA、B、Cの各地域に属する土地は、別紙個別土地被害認定表において被害期間欄に期間を記載する各土地である。証拠上又は当該原告の主張自体により、耕作権原又は耕作の事実もしくは右各地域内にあることが認められない土地については、土地の特定を欠くものを含めて、同欄に×印で示す。

但し、権原に基づく耕作が認められるものでも、面積不明の土地、牧草地など損害不明の土地については、被害期間欄に期間を記載せず、損害認定から除外するものがある。

認める耕作権原は、原告ら主張のとおりであり、そのうち別紙原告ら主張個別耕作農地表に別の記載がない土地については、当該原告又は被承継人の所有権もしくは家族所有地の使用貸借による権利である。

耕作の種類及び所属の被害等級地域は、別紙個別土地被害認定表の被害種別欄及び桑畑欄に記載のとおりであり、耕作期間は、同表の被害期間欄に記載のとおりである。

同表において認定する権原に基づく耕作は、特記するものを除き、当該原告又は被承継人(予備的に承継を主張する原告番号35大塚繁については同原告自身)が農業経営の主体者として実行した耕作である。

被害を受けた耕作は、C地域第一期を除く各被害等級地域内の田及び普通畑の耕作並びにA、B地域内の桑畑の耕作であり、被害程度は各被害等級に対応するものである。

耕作面積は、特に備考欄に認定表示するもののほか、原告ら主張のとおりである。その他同欄には特記すべき事項及び証拠に限り表示するものである。

なお、同表記載事実の一部には、当事者間に争いのない事実及び当該原告が自認する不利益事実が含まれているが、それは別紙原告ら主張個別耕作農地表及び被告個別答弁表に記載のとおりである。

一 損害

1別紙個別土地被害認定表において認定した被害耕作地について、当該被害種別、耕作面積及び損害算定期間に応じ、前に示した損害算定方法に従い、別紙反当損害算定表及び慰藉料算定表各記載の数額を適用して算定すると、別紙原告別損害算定表に記載する各原告番号の原告(又は当該原告主張の被承継人)について損害の発生が認められ、それぞれの被害にかかる被害種類別、期別の計算上の面積(反別)並びに期別の財産上の損害額及び慰藉料額は同表記載のとおりである。

但し、同表の備考欄に×印の記載がある期については、主張の被承継人からの損害賠償請求権の承継が認められないものであり、1/3の記載がある期については相続分三分の一に限り承継が認められるものであり、原告番号13小野文雄関係の※印の記載がある第二期については同原告の営農主体耕作が認められず承継の主張もないものである。(承継関係の判断は後記のとおりである。)

2別紙原告別損害算定表に記載がない原告又は主張の当該被承継人については、主張自体及び別紙個別土地被害認定表で認定したところにより、次の(一)ないし(四)のとおり損害賠償請求権の取得を認めることはできない。

(一) 原告番号9赤見千代松は、前記被害期間において、主張の各土地につき、営農主体者として耕作をした事実が認められず、損害賠償請求権の取得も認められない。

(二) 原告番号10柴山宗寛及びその被承継人亡原告宗哉については、第一期のうちの短期間を除いては前記被害期間内における耕作をした事実が認められず、右短期間の耕作については損害が明らかでなく、損害賠償請求権の取得は認められない。

(三) 原告番号38峯岸喜久江、56小野富八、59加部ちえ子、67内川幸平、68内川義雄、80嶋田ミヤ子、84内田正敏、89中嶋一郎及び92佐藤うめ(又は主張の各被承継人)については、前記損害算定期間の全部又は一部について前記単位面積(一反)に満たない狭少面積の耕作をしたことを除いては、被害農地の耕作をした事実が認められず、右狭少面積の耕作については、賠償請求権を取得すべき損害の発生は認められない。(なお、C地域について、田及び普通畑の第一期、桑畑の全期の各耕作につき損害が認められないことは前記のとおりである。)

(四) 原告番号102山田彦太郎は第四期の中途昭和四三年頃から単位面積に満たない狭少面積の耕作をしているだけであり、賠償請求権を取得すべき損害の発生は認められない。

三  損害賠償請求権の承継

1相続

(一) 別紙被害期間前承継表記載の各原告(又は亡原告)について、同表記載の先代からの損害賠償請求権の相続が主張されているが、〈証拠〉によれば、右各先代死亡の日は、原告番号11の先代白石吉郎以外は、いずれも前記被害期間より前(昭和二六年以前)である同表記載の日であり、白石吉郎も既に前記被害期間より前に農業経営の主体者としての地位を退いていることが認められ、従つて右先代らの損害賠償請求権の取得は認められないから、承継もあり得ない。

(二) 別紙相続関係認定表(一)記載の原告(又は亡原告)については、昭和二七年以降における先代の耕作に係わる損害賠償請求権の相続が主張されているところ、〈証拠〉を総合すれば、同表記載の各事実が認められるほか、原告番号88の高橋常三郎の子は亡原告たか江のみであり、その他の各先代には複数の子があること、原告番号66の中島間喜は先妻はる江の死亡時から自身が死亡するまで、同104大久保巌は昭和三八年五月二六日から死亡まで、その他の先代らは昭和二六年以前から各死亡まで、それぞれ農業経営の主体者であつたことが認められるので、右原告(又は亡原告)らの損害賠償請求権の相続について、右各資料を検討して判断すると、以下のとおりである。

(1) 原告川保正及び小川益三については、いずれも先代の子と婚姻したことが認められるが、先代との養親子関係その他相続原因となる事実を認めるに足りる証拠はなく、また相続分も不明である。従つて、右原告らの相続を認めることはできない。

(2) 同表記載のその他の原告(又は亡原告)らは、先代の法定相続人の一人であり他の共同相続人がいるが、他の相続人との遺産分割協議その他損害賠償請求権の単独相続の原因となる事実を認めるに足りる証拠はない。当該関係陳述書中には単独相続した旨の記載部分があるが、直ちに措信することはできない。

従つて、損害賠償請求権の単独相続は認められないが、右請求権は可分債権であるから、先代の死亡により法律上当然分割され、各共同相続人が相続分に応じて債権を承継することとなる。

原告河井しん、清水タキ、中島富美及び箕浦はるは先代の妻(中島富美は中島間喜の妻)であり、他に先代の子がいるから、同原告らは配偶者として相続分は三分の一である。

なお、中島間喜の先妻はる江のC地域の田の耕作時期(第一期)については、損害賠償請求権がないことは別紙原告別損害算定表に示したとおりであるから、相続関係につき判断の必要はない。

原告大久保かつは、巖の配偶者として、その相続分は三分の一であるが、同原告の大久保竜三の養子としての相続及び巖の大久保竜三の実子としての相続については、他の共同相続人全員を確認するに足りる証拠はなく、その数従つて相続分が不明であるため、結局第四期以前の耕作にかかる竜三の損害賠償債権の相続による請求権の数額を確定することができない。

亡原告高橋たか江については、先代常三郎の唯一の直系卑属として、その法定相続分は三分の二であるが、たか江の母であり法定相続分の三分の一の共同相続人である常三郎妻原告高橋はるにおいても、自ら、亡原告たか江が単独相続したと主張し、その陳述書においても同じ供述をしているものであり、右陳述書と弁論の全趣旨を併せ考えると、右母子間において亡原告たか江に全部相続させる旨の遺産分割協議がなされていたものと認めるのが相当である。従つて、亡原告たか江は単独で常三郎の請求権を相続したものということができる。

しかし、以上の原告(又は亡原告)ら以外の者については、共同相続人である先代の子全員を確認するに足りる証拠はなく、そのため相続分は不明であり、請求権の数額を確定することができない。

(三) 昭和四七年四月一日本訴提起後における亡原告の死亡による相続承継が主張される別紙相続関係認定表(二)記載の各原告については、〈証拠〉を総合すれば、それぞれ同表記載の亡原告の死亡及び承継原告の続柄が認められるほか、亡原告湯井幸太郎については同表記載の妻が三分の一、子が各一五分の二の各相続分割合により、その他の亡原告については当該各承継原告が単独で、損害賠償請求権を相続承継したことが認められる。

2債権譲渡

別紙債権承継表(三)記載の原告ら主張の損害賠償請求債権の譲り受けに関し、昭和五一年八月二六日本件訴訟代理人弁護士高田新太郎を各通知人の代理人と表示する同月二五日付債権譲渡通知の書面が被告に到達した事実は当事者間に争いがない。

右原告らのうち原告番号80嶋田ミヤ子については、耕作面積狭少のため譲渡人の損害賠償請求権取得が認められないことは前示のとおりであり、また、原告番号27白石宗三、44茂木喜三郎及び57依田よしが主張する債権譲渡による承継については、当該譲り受けにかかる損害賠償請求権に係わる耕作が前記被害期間前のものであることは主張自体により明らかであるから、主張の譲渡にかかる損害賠償請求権の発生を認めることができず、いずれも承継はあり得ない。

更に、原告番号95田中いね主張の債権譲渡については、譲渡人田中義俊の債権取得原因である単独相続の事実は、たやすく措信し難い陳述書の記載を除いては、これを認めるに足りる証拠がなく、相続分従つて主張の譲渡にかかる債権額を確定することができない。

原告番号13小野文雄、19岡田初男、31茂木昇、69中島才一及び105萩原博の関係については、〈証拠〉を総合すれば、当該原告らが主張するとおりの債権譲渡及び譲渡通知人関係事実のほか、争いのない前記債権譲渡の通知が真正になされたものであることが認められる。

四  損害賠償請求権の数額

1以上認定したところによると、承継が主張される先代分を含めて、発生が認められる財産上の損害額と財産外の損害額(慰藉料額)との内訳及び合計額は別紙個別損害額表(先代分を含む)に記載のとおりであり、一部原告らについて主張されている相続及び債権譲渡による先代分の請求権の承継に関し前示の判断を経た結果は、同表の承継関係判断後の認定額欄記載のとおりである。

同表同欄記載の数額を零とするものは承継を証拠上認定できないものであり、その他の数額が記載されているものの内訳及び原告番号43関係の各相続分の内訳は別紙承継判断による低減損害額表記載のとおりである。但し、原告番号99箕浦はるの分の内訳は財産上の損害額と慰藉料額とを分別して円未満の端数を切り捨てた場合の数額であり、右端数を含めて両者を併せると七七万六〇〇〇円となる。

2以上によれば、別紙個別損害額表(先代分を含む)に記載されている各原告番号の原告らのうち、承継関係判断後の認定額欄の数額が零以外の原告らは当該数額と同額、数額の記載がない原告らは、原告番号43の原告らを除き、同表の合計額欄記載の数額と同額、原告番号43の原告らは前記各相続分合計額と各同額の被告に対する損害賠償請求権をそれぞれ取得するに至つたものである。

同表に原告番号の記載がない原告はもともと損害が認められず、同表に記載があるが前記の承継判断後の認定額が零の原告らは主張の承継の証明がないため、損害賠償請求権の取得を認めることができないものである。

第六  被告の抗弁に関する判断

一  和解契約の抗弁

1安中製錬所周辺地域の各鉱対委と被告との間において減収被害について交渉を行つてきたこと、和解であることについて争いがあるが鉱対委の委員と被告の安中製錬所長により、協定書が調印されて別紙鉱害対策委員会との契約一覧表のとおり契約が締結されていることは、当事者間に争いがない。

被告は、右契約において原告らが補償金等の支給を受けることにより、その余の請求権を放棄する約束をしたもので和解契約が成立している旨主張するのである。

2〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

昭和二五年頃、前記のとおり反対運動の効なく安中製錬所の大増設が許可されたのち、北野殿地区では、約三〇名位の農民が被害の補償を要求して安中製錬所に押しかけたが、多人数との交渉には応じないとの被告の拒否姿勢に遭つたため、被害の多い者を主とする約一〇名位が自然の成り行きで北野殿地区代表の形となり安中製錬所に赴き被告と交渉するようになつた。

そして、昭和三〇年頃に野殿地区鉱害対策委員会(のちに北野殿鉱害対策委員会と改称)が組織された。右鉱対委は部落の全員集会において委員を選出したが、委員に関する定めその他の規約はなかつた。(なお、右委員から後記被告支給金品の配布を受ける被害農民の構成は、部落全体の構成員と一致していない。)

被告との減収被害の交渉、鉱対委の組織などの経緯は他の鉱対委についても北野殿鉱対委と似たようなものであつた。

被告は、鉱対委との交渉において、委員から被害の具体的な説明を受けながら、農民らの耕作や蚕の飼育の仕方に原因を転嫁してなかなか責任を認めようとせず、結局認めるに至つてもその被害程度は委員の説明との間に大きな差があつた。そして、金額の根拠は不明であるが、被告は、見舞金、補償金等の名目で別紙鉱害対策委員会との契約一覧表記載の金員を鉱対委に支給してきたが、その金額はおおむね前年度の金額に被告が一方的に定める増額分を上乗せした金額であつた。支給金の金額が決まつて幾日か過ぎたのち、被告は委員長らに対し、被告があらかじめ文面を作成した協定書等の書面に署名擦印することを求め、その署名擦印と引き換えに金員を支払つた。なお、右協定書等の文面が委員長らから異論が出たことによつて変更されたことはなかつた。

右協定書等においては、時期の古いものでは他に損害賠償の請求をしない旨の記載があるものも僅かにあるが、昭和三〇年頃からは一切円満に解決したことを確認し双方異議の申立をしない旨の記載がなされるようになつたほか、昭和三一年頃以降のものには、「鉱対委は、個々の耕作者から異議の申立があつたときは全責任をもつてその解決に当る」との趣旨の記載が加えられている。

右委員長らが受領した金員は、委員がその配分割合を決めて対象農民らに届け、被告は配分に関与したことはなかつた。農民らはこれを異議なく受け取り、鉱害金と呼んだ。

農民らは、鉱対委が被告から受領した金額や配分割合等を尋ねたことはなく、また委員もこれを知らせることはなかつた。そして、協定書についても委員長など委員の中でも主立つた者しかその存在を知らなかつた。

3右認定事実によれば、鉱対委は、何人かの委員で構成され、被害農民らと被告との間に立つて、被害農民側の立場で被告と被害補償交渉をし、支給金を受領し分配する組織であつて、被害農民からは、被告から鉱害金を受け取り配分する機関と目され、他方、被告からは、被告が一方的に金額を決めて交付する金品を被害農民らに配分し、責任をもつて農民からの異議の申立を抑える機関であると認識されていたものと認められる。従つて、鉱対委ないし委員は被害農民から和解契約締結についての代理権を授与されていたとは認められず、また、前記の鉱対委の成り立ちからすると、委員の選出が被告に対する和解契約締結の代理権授与の表示に当たるとは認め難く、また、被告の鉱対委に対する認識からすると、被告は、鉱対委ないし委員を和解契約締結についての被害農民らの代理人とは考えていなかつたものと認められるから、被告主張の表見代理が成立する余地はない。

のみならず、前認定の事実によれば、前記の契約が、被告と被害農民との間の和解契約に当たることについても疑問がある。

よつて、被告の和解の抗弁は理由がない。

二  時効の抗弁

1本訴が昭和四七年四月一日提起されたことは記録上明らかであるところ、安中製錬所の操業、被害の経過及び被害農民の対応の概略は前記第一の五(住民運動等)で判示したとおりであり、その事実認定に供した各証拠を総合すれば、以下の事実が認められる。

昭和二四年から前記大増設に反対する住民運動が始まり、旧鉱害対策委員会や連合会が結成されて農民らが関係方面に陳情を繰り返すようになるまでには、同年一〇月頃県会議員の斡旋により周辺農民らと被告との間の調停が試みられたが、その席上通商産業省鉱山局担当課長らから鉱害発生の危険性を否定され、また、その後も、群馬県知事からは大増設に賛成する意向が示され、結局、関係官公庁等を初めとし政界関係者にまで及ぶ陳情も効を奏さなかつた。

そこで、科学的資料を添えて陳情するしかないとの考えから、当時連合会委員長であつた原告藤巻卓次は、安中製錬所周辺の土壌や川水を採取して東京に持参し、東京大学の研究者に分析を依頼したところ、分析結果が重大であるとの理由で、検査機関として農林省西ヶ原農業試験場を紹介されたものの分析結果は教えてもらえなかつた。次いで、同原告は同試験場に分析を依頼したが、同試験場の担当者は、分析を実施しながら、同原告らの再三の要求にもかかわらず、上司の指示によるとして、分析結果を知らせることを拒否した。

結局、反対運動は徒労に終わり、同原告ら被害農民は挫折感を味わうことになつた。

そして、昭和三一年頃には、前記銅電解工場等の増設に反対する北野殿地区農民らは、同県知事らに再三陳情したが、被告から同県知事に対し「工場周辺及び下流地区に対し、煙、電解ミスト、廃水による一切の被害を与えないこと並びに万一被害を与えた場合は被告が責任をもつて処置することを確約する。」旨の誓約書を提出していたこと等から右陳情が無視されたこともあり、被害農民らは、安中製錬所の操業の拡大とこれに伴う被害の増大傾向の中で無力感を養つてきた。

その間、前記のとおり一部地域について、鉱対委を介する被害補償交渉が行なわれ、被告はある時期から、口外しないことを委員に約束させて前記補償金等の支給をし、これを農民らは鉱害金と呼んで配分を受ける経過をたどり、被害の増大が続く一方、これとは逆に一般に収獲量を好転させるとみられる農地の交換分合なども行なわれ、昭和四四年前記違法増設の摘発に至つた。

昭和四五年八月頃始つた農民約三〇〇名の前記認可取消請求人団と被告との間の公害防止等協定交渉の途中で、難航した交渉を進展させるために昭和四六年六月被告側は、右請求人団の要求に応ずるための前認定の交換条件を提出したうえ、請求人団側からの質問に対し、右交換条件は過去の損害の賠償請求権について時効などの主張をしないことを前提とする提案であるとの趣旨の釈明をしたことがあつたが、結局交渉はまとまらず同年末に決裂した。

2原告らが主張する時効利益の放棄については、被告からの時効を主張しない旨の表示が前記のような経緯でなされたものである以上、これは、交渉妥結を前提とする未確定のものであつて、交渉の行方を問わず確定的になされた意思表示でないことは明らかであり、結局交渉は決裂し、他に時効利益放棄の意思表示がなされたことを認めるに足りる証拠がない本件においては、右原告主張を採用することはできない。

3安中公害により農民が受けた前認定の被害については、自然の気象状況や病虫害の有無等にも左右される農作物の状況に関係する損害の性質上、被害の有無、原因を直ちに確認することは困難であり、また、損害の内容からして、取引上の損害などとは異なり直接的な証拠資料があらかじめ用意されている性質のものではないのみならず、本件の被害は或る時期に突然出現したわけではなく長期間にわたり次第に顕著になり増大してきたものであるから、損害の金額算定をするのはもともと容易なことではない。

そのうえ、農民らは、被害を知り被告との折衝を開始したのちにおいても、被害の有無、責任、程度を争う被告の強硬な態度に遭い、前示のように関係官庁や県からの援助もなく、政界関係者も頼むに足りず、信頼性ある科学的調査資料を入手する途もふさがれて、力では比較にならぬ被告会社に対抗する手段も尽きようとし、一方では、被告から見舞金、補償金等の名目で算出根拠不明のなにがしかの金額が地元に配られることもあつて、抵抗の意欲をそがれてきたほか、農業一般の品種、資材の改良、技術の向上や構造改善事業などますます損害算定を困難にする事情も加わつて、時日を経過し、被告の強引な生産拡大策がついに違法増設問題に発展し昭和四五年の刑事事件有罪判決や施設改善命令に至つて終りを告げ、認可取消請求人団の結成と損害賠償交渉へと推移したものである。

そうすると、右交渉の決裂に至るまで訴訟手段に出ようとしなかつたことについて、これを責めるのは、原告らにとつて酷に失し、その原因の多くは被告の行為に帰せられるものであり、民法七二四条前段に定める三年間の経過による損害賠償請求権の消滅時効の趣旨が、被害者において加害者に対し請求することが可能となつた時から期間を進行させようとするものであることをも考慮すれば、前示の事情その他本件において認定した一切の事情に照らし、被告において右時効を援用することは権利の濫用であると判断すべきものである。

よつて、右消滅時効の抗弁は理由がない。

なお、民法七二四条後段に定める二〇年の経過による消滅時効は、加害行為がなされた時から期間が進行することをもつて法の趣旨とするところであるが、本訴提起の時より二〇年以前である昭和二七年三月以前の被告の加害行為により発生すべきものと認められる前記被害期間前の損害については、前示のとおり賠償請求権が認められないものであるから、右時効の成否については判断するまでもない。

三  その他

被告は、原告番号105萩原博主張の本訴請求にかかる損害賠償請求債権の譲渡につき、これを同原告の父訴外萩原金作からの訴訟信託である旨主張する。

しかし、〈証拠〉及び前記債権譲渡通知の事実その他弁論の全趣旨を総合すると、昭和四七年一月父金作から同原告への損害賠償請求債権の譲渡当時において、同原告方は、一〇年前に結婚した妻とその間にもうけた二男二女の四人の子ほか、六五歳の父金作と六三歳の母いち夫婦が同居する専業農家であり、既にそれ以前から、壮年に達していた同原告が農業の実際の采配をふるつており、古くからの耕作農地は父金作名義であるが、新らたに昭和四一年に買い入れた土地は長男で後継者の同原告名義としていたもので、昭和四七年一月に同原告方で本訴提起を決意した際、協議のうえ、これを機会に名実共に同原告を営農主体者とすることとし、金作から同原告に対し、農業の経営を移譲するとともに真正に本訴請求にかかる損害賠償請求債権の窮極的な譲渡をしたものであることが認められる。

よつて、訴訟信託の事実は認められず、被告の主張は理由がない。

第七  結論

一以上の事実認定を動かすに足りる証拠はない。

二以上のとおり、原告番号1、4、6、8、11ないし14、16、17、19ないし37、39ないし49、51ないし54、57、61ないし66、69、70、75ないし79、81ないし83、85、87、88、90、91、93ないし95、97、99ないし101、104ないし108の各原告らは、被告に対し、右原告らのうち、番号8、13、32、42、46、48、51、54、61、64、66、76、77、93、95、99及び104の各原告については別紙個別損害額表(先代分を含む)の承継関係判断後の認定額欄の当該原告番号分に記載の金額相当、その他の各原告については同表の合計額欄の当該原告番号分記載の金額(但し、原告番号43の原告らについては、この金額を別紙承継判断による低減損害額表記載のとおり相続分に従つて分割した金額)相当の損害につき、それぞれ賠償請求権を有するものであり、これに基づく請求は認容されるべきである。

三  (弁護士費用損害)

右原告ら及びその被承継原告らが多数の本件訴訟代理人弁護士に委任して本件訴訟を提起追行してきたものであることは、本件記録上明らかであり、右原告らが同弁護士らに支払うべき報酬等弁護士費用について、被告の本件不法行為との間に相当因果関係がある損害としては、事案の性質、内容、訴訟活動等の事情を勘案すれば、それぞれ前記認容額の約一割に当たる別紙全原告別認定表(3)弁護士費用損害額欄記載の各金額をもつて相当と認められるので、前記の請求を認容すべき原告らは被告に対し、それぞれ当該弁護士費用損害の賠償請求権を有するものであり、これに基づく請求は認容されるべきである。

四よつて、原告らのうち、別紙全原告別認定表の(2)認容額欄に零以外の数額の記載がある原告らの被告に対する本訴各請求は、同欄記載の各該当金額(主文別表記載の該当金額)及びこれに対する損害発生後である原告ら請求にかかる昭和四七年三月三一日以降の民法所定遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、これを正当として認容すべく、右原告らのその余の請求及びその余の原告らの各請求は理由がないから、これを失当として棄却すべきものとし、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文、一九六条一項、四項に則り、主文のとおり判決する。

(渡辺惺 大島崇志 本間栄一)

目録

1 原告請求額一覧表

2 重金属(カドミウム、鉛、亜鉛)分布図

3 原告ら主張個別耕作農地表

4 債権承継表(一)――本訴提起前の相続

〃 (二)――本訴提起後の相続

〃 (三)――債権譲渡

5 被告個別答弁表

6 補償金支払一覧表

7 原告別土地改良事業該当農地明細表

8 鉱害対策委員会所属原告一覧表

9 鉱害対策委員会との契約一覧表

10 証拠目録

11 書証目録(証言により成立を認定するもの)

12 昭和46年度月別風配図

13 亜鉛製錬操業系統図

14 土壌重金属測定表

15 土壌重金属距離濃度関係図表

16 陸稲減収機構図

17 水稲減収機構図

18 二酸化硫黄に対する植物の抵抗性

19 草木への二酸化硫黄の影響の出現

20 反当損害算定表

21 慰藉料算定表

22 個別土地被害認定表

23 原告別損害算定表

24 被害期間前承継表

25 相続関係認定表 (一)

26   〃     (二)

27 個別損害額表(先代分を含む)

28 承継判断による低減損害額表

29 全原告別認定表

〈以上、省略〉

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